【特集】子ども3人を津波で亡くした父「一番の宝物がなくなってしまった」それでも生きてこられたのは…
震災を知らない世代に伝えたい
震災後、地区には津波避難タワーが整備された。 地区を襲った津波は高さ3メートルほどだった。 遠藤伸一さん 「おじさんが最初に見た津波は水ではない。家と車、砂ぼこり立てているのがこっちに向かってくる」 震災を知らない世代に伝えたいのは津波の脅威。 そして、人々の支え合いだ。 今年の夏、自宅があった場所のすぐ近くに野外音楽堂が完成した。 作ったのは大阪で建築資材の会社を経営する林田元宏さん。 林田元宏さん 「関西で阪神大震災を経験しています。お手伝いできることはないか。遠藤さんに連絡をとった」 木材の製造の過程で出る端材を、震災復興に活用してほしいと遠藤さんに声をかけたことから2人の交流が始まった。 この音楽堂は人の思いが集まった奇跡。 遠藤さんはそんな風に感じている。 遠藤伸一さん 「(林田さんは)震災の思いをつないでいく、ここが寂しい場所にならないようにという温かい思い。きょう、たくさんの人が来ていて、ご近所だった人もたくさん来ていた。離れた人もこういう場面をいただけて、来るきっかけになった」 流れてくる音楽は天国にいる子どもたちにも届いたかもしれない。 先月9日、仕事を終えた遠藤さんはある場所に向かっていた。 この日は長女・花さんの誕生日だ。 「シャインマスカットのタルトをください」
娘のためにしてあげられること。 震災後、誕生日は子どもたちが成長したであろう姿を想像する日になった。 花さんが生きていれば27歳。 花嫁姿が見られたかもしれない…
生きてこられたのは、人々の支えがあったから
遠藤伸一さん 「インパクト使うときこうやるときれいに入るから」 遠藤さんは石巻市の小学校で小学6年生に卒業制作のベンチづくりを指導していた。 この活動を初めて8年目になった。 遠藤伸一さん 「東日本大震災の後、この地にたくさんの人の思いが注がれてこのような場面がいただけた。児童の保護者が歯を食いしばってきて生きてきた部分と、たくさんの応援をしてくださる人がいまも継続している。 その人の思いを感じてくれたらうれしいです」 遠藤さんが「震災を乗り越えた」と言うことはなかった。 それでも、震災からの13年8か月を歩んで来られたのは、周りの人々の支えがあったからだ。