川勝県政15年、功罪を検証 当事者3人に聞く 政治・教育・学術文化・選挙【静岡県知事選】
静岡県初の学者知事による“川勝流”15年
川勝平太知事が5月9日をもって退任する。行政や政治の経験がなく2009年に初当選して以降、約15年間にわたり県政を担った静岡県初の学者知事。型破りな言動で国や大企業と相対する一方で数々の分断やあつれきを招いた。知事選や教育問題で対立したり、学術文化分野で知事に接したりした3人の当事者に話を聞き、“川勝流”の功罪を検証した。
政治と学問 両方実践した稀有な例 富士山世界遺産登録
川勝知事が成果に挙げる2013年の富士山の世界遺産登録。一度は除外勧告を受けた三保松原(静岡市清水区)も含めた一括登録という逆転劇に本県は歓喜に沸いた。 元外交官で、当時は文化庁長官だった近藤誠一氏は「登録は関係者の総合力の結果だが、知事は歴史や文化的背景を熟知し、リードした。会った時はいつも富士山の話で熱がすごかった」と回想する。 地方行政による国際交流を「地域外交」と称して推進し、23年に注力したのは東アジア文化都市事業。同事業の県実行委員会で最高顧問の一人だった近藤氏は「地方行政だからこそ政治的利害関係なく交流ができる。その思想を最もよく理解し、実行した」と敬意を示す。「文化的、歴史的な素養を持つ独特の知事像を示して存在感を発揮した。政治と学問の両方を実践した稀有(けう)な例だ」と川勝知事を評価した。 近藤誠一(こんどう・せいいち) 1972年、外務省入省。ユネスコ大使、駐デンマーク大使、文化庁長官を歴任した。みほしるべ名誉館長。神奈川県出身。78歳。
教育行政と現場分断し混乱させた 全国学力テスト
大学で教壇に立った川勝知事は09年知事選のマニフェスト(公約集)に教育改革を掲げた。2期目の13年に全国学力テスト小学6年国語Aで本県が最下位になると、下位の学校の校長名公表を表明。結果的に平均点を超えた校長名を公表し、県教委や文部科学省との対立が決定的となった。 川勝知事就任時の県教育長だった遠藤亮平氏は「学力テストは児童生徒が自分の弱点を、教師が指導法を見直す材料であり、比較するものではない」と歴代教育長の考えを代弁する。 「川勝氏は教育者ではなく学者。教育現場で働く教師に敬意がなかった」と証言し、県教育長に大学関係者、県教委課長職に行政職員を置いた人事方針に「教育行政と現場を分断し、混乱させた」と異を唱えた。「本県の教育は川勝氏の実験場にされた。この呪縛から脱却できるか」と懸念する。 遠藤亮平(えんどう・りょうへい) 旧春野高、静岡高で校長歴任。2006年4月~10年3月に県教育長を務めた。袋井市。76歳。