「覚えてろよ、オマエ!」秋葉原暴力団組長刺殺事件 怒号響く裁判で明らかになった”歪な関係”
’22年に東京・秋葉原の路上で六代目山口組傘下の暴力団組長の山中健司さん(当時34)が刺殺された事件で、殺人罪に問われた佐々木文俊被告(37)の判決が1月24日、東京地裁(島戸純裁判長)で下された。 【画像】圧倒的オーラで張り詰める空気…六代目山口組・高山清司若頭の姿 起訴状などによると、佐々木被告は’22年7月21日午後6時30分頃、秋葉原の路上で山中さんの左腹部を刃渡り22センチの牛刀で刺して死亡させた。事件当日、同被告は山中さんらと喫茶店に行き、店を出て前を歩く山中さんを護身用に持っていた牛刀で背後から刺し、すぐに現場近くの万世橋警察署に自首した。取り調べで、山中さんから多額の金銭を脅し取られており、犯行動機について、 「すべてを終わらせようと思った」 と供述。創洞(そうどう・傷口から傷の底までの空間)は23センチにも及び、強い殺意を感じさせた。キャバクラやガールズバーなどのコンサルタント業を営んでいた佐々木被告と山中さんの間には「みかじめ料」をめぐる金銭トラブルがあり、追い詰められたなかでの犯行だったという。 佐々木被告の山中さんに脅されていたという供述に対して、山中さんの妻は’22年12月の『週刊女性PRIME』で、 《(佐々木被告は)夫の側近であり、親友だった》 と反論。家族ぐるみの付き合いがあり、山中さんと佐々木被告のツーショット写真も掲載。 《夫に脅されたとウソの証言をして、自分の罪を軽くしようとしている佐々木を許すことはできません》 と強い処罰感情を語っていた。恐怖の主従関係か、それとも組長と側近という関係か。真っ向から対立する両者の主張。裁判では佐々木被告の〝真実の姿〟が焦点となっていた。 送検時の佐々木被告はサイドを短く刈り上げた髪型に、細い眉毛。浅黒い肌に恰幅もよく強面の印象だった。しかし、出廷した佐々木被告は、送検時からかなり痩せ、ダボダボのジャージ姿に坊主頭で弱々しい印象だ。色白の顔に表情はなく冒頭陳述で起訴内容について「間違いありません」とかすれた声で答えた。そして山中さんによる暴力と脅しの恐怖の日々を語った。以下、裁判で語られた内容である。 ◆佐々木被告は、医学系大学卒の元研究者 《こいつは俺のポケモン。命令すれば何でもやる》 山中さんは佐々木被告のことを周囲にこう話し、財布代わりに連日連れて歩いた。佐々木被告が渡した金銭は山中さんの生活費や遊興費、組事務所の運営費に消えた。そんな2人だが、かつては友人関係だった。 「佐々木被告は医学系の大学院に通いながら研究者として働いていました。しかし’12年に弟が自殺したことから人生が暗転し始めます。弟を助けられなかったことで自責の念に駆られ大学院と研究職を辞めたのです。 お酒好きだった弟に想いをはせ、飲み歩くことも増え、そんななかで’13年頃に、たまたま居酒屋で客として居合わせた山中さんと出会うのです。山中さんが弟と同じ年齢だったことで『弟が引き合わせてくれた』と思い、友人関係になったそうです」(傍聴した新聞記者) 出会った当時は組を辞めカタギだった山中さんだが、その後暴力団に入り’17年に暴力事件を起こし逮捕されている。佐々木被告は拘置所の山中さんに本の差し入れをしたが、これが2人の関係を悪化させるきっかけとなった。 「出所後、山中さんの態度が一変したようです。彼は、暴力団の活動を再開。佐々木被告が営んでいたキャバクラにやってきて『俺がいなかった間の80万円を払え』 と”みかじめ料”を要求。断ると殴る、蹴るの暴力を受けたと供述しています。山中さんは、その後も、 《デコ(警察)にチンコロ(密告)したらオヤジとオフクロをヨンパチ(48時間)以内に行方不明にするぞ》《オマエの目の前で嫁をまわして殺す》《俺が娘の初めての男になってやる》 などと脅迫。佐々木被告が拘置所に差し入れをした際に実家の住所を書いたことで、山中さんはその実家に住む両親に危害を加えると脅し、実家の写真を送りつけてきた。妻と幼い娘を持つ佐々木被告は言いなりになるしかなかったと語っています」(前出・記者) 金銭の要求は日増しにエスカレートし、「もう、お金がない」と言うと両親と妻からお金を引っ張るように命令された。佐々木被告は、店の運営資金が足りないと嘘をつき母から2400万円、妻から1100万円の借金などをし、総額1億2000万円を渡していることが裁判で明かされた。 連絡は秘匿性の高いアプリ「Signal」でやり取りし、会話を録音していないかスマホを定期的にチェックされ警察に相談することも封じられた。自殺を考えたが、弟の葬式で喪主を務めた両親を思い出し「もう息子の死体を見せるわけにはいかない」と踏みとどまったなどと、精神的に追い詰められた日々を語っている。 その一方で、証人尋問で出廷した山中さんの妻は、金銭のやり取りについて、 「佐々木被告と夫はビジネスパートナーだった」 と主張。暴力団組員たちも佐々木被告を「社長」と呼んでいたという。そして、 「いつも一緒にいた。夫の仲のいい一番の友達。組の中でもナンバー2という感じでした」 と反論。さらに、 「(佐々木被告は)週に1回しか家に帰らず、妊娠中の奥さんの『腹を殴りたい』と言っていた」 と家族仲は良くない上、佐々木被告の人間性が「凶暴である」と主張した。佐々木被告に対しては、 「今すぐ死んでほしいですけど、できるだけ長く(刑務所に)入ってほしいです」 と言い放っている。山中さんの妻の証言に対して佐々木被告は、「腹を殴りたい」と言ったことを認め、 「私が妻を大事にしていると弱みになるのでそう発言した」 と真意を明かした。さらに、 「人殺しの妻と娘にさせておくわけにはいかない」 という理由で、すでに離婚していた。「社長」と呼ばれていたことについては山中さんの財布代わりとして使われていたからだという。渡したお金は山中さんのキャバクラ代や風俗代にも使われたと佐々木被告は言う。 「父が40年以上、教師として頑張ったお金が目の前で湯水のように使われるのが辛かった」 佐々木被告は、最後に声を絞り出してそう語った。結局、両者の主張は交わることなく、下された判決は懲役7年。裁判長は、 「多額の金銭を要求され困窮し、過酷で絶望し衝動的に犯行に至った」 と佐々木被告の情状酌量を認めている。 「佐々木、覚えてろよ、オマエ!」 判決に納得のいかない山中さんの妻の怒号が法廷に響き渡るなか佐々木被告は退廷。恐怖の脅しと遺族感情…。法廷には終わりの見えないやるせなさと、2人の本当の関係性は……という疑問だけが残った。
FRIDAYデジタル