「世間ではもう“終わった選手”だと…」サッカー日本代表・小川航基26歳が“消えた天才”にならなかった理由「でも腐ったことは一度もない」
人生の歯車が狂った、あの大怪我
186cmの高さがありながら、足元の技術に長け、スピードとパワーも兼ね備えた天才ストライカーとして桐光学園高校時代から早くから注目を集めた小川。2016年に鳴り物入りでジュビロ磐田に加入してからも、世代別日本代表では常に中心選手だった。 AFC U-19選手権では絶対的なエースとしてアジア制覇を達成。翌2017年U-20W杯では、のちの東京五輪に出場する堂安律や久保建英らと共闘し、初戦の南アフリカ戦では貴重な同点弾を叩き込んだ。 しかし、第2戦ウルグアイ戦で地面に足を着いた際にひざを捻ってピッチに倒れ込んだ。前半開始からわずか20分で途中交代を余儀なくされ、そのまま病院に直行。左ひざ前十字靭帯断裂および左ひざ半月板損傷と診断され、無念の帰国となった。 ――見ている方としても、あの負傷は大きなショックを受けました。 「20歳というとても重要な年代で、あの怪我は自分に大きくのしかかったし、復帰してからの3~4年は怪我する前の自分がなかなか戻ってこなくて、納得がいくプレーはできませんでした。ただ、その原因は自分の心の弱さであることは認めています。シンプルに自分に実力が足りなかっただけで」 昨年、小川と同じU-20W杯に出場したMF市丸瑞希が、25歳で現役を引退した。今年3月のインタビューでは赤裸々に現役生活の葛藤を明かしている。 「練習後に家に帰りたくなかった。家にいるとイラつくし、悩むし、苦しくなってじっとしていられなかった。家に一人でいたくないという衝動だけで外出して、夜な夜な遊んでしまった」(市丸さん) 世代のトップを走ってきたゆえ、壁にぶち当たってきた時に初めて自分の弱さと直面する。市丸のように自暴自棄に陥り、お酒や遊びの誘惑に惑わされてしまった選手は過去にも多い。 小川自身もこの記事を目にしたという。旧友の告白を見て、少なからず自分もそうなる可能性があった、と感じたのではないだろうか。 こちらの狙いを察したのか、小川は即答する。 ――納得がいくプレーができない。大怪我のあと、自暴自棄になることはなかったのか。 「正直、腐ってしまうような時期はまったくなかった。常に今の景色を思い描きながら練習も取り組んでいました。ただ、それだけじゃ成功しないことは多々ある世界です。監督やスタッフと合う・合わない、起用方法や戦術だったり、自分が点を獲れる環境に身を置けているかは重要。実力があってもそれを発揮できなくて、そのまま埋もれてしまう選手もいましたし、確かに、自分もそういう危険性があった選手の一人だったとは思います。でも、それを他責にするんじゃなくて、自分は『もっと成長しないといけない』という方向には持っていくことができたと思っています」 気持ちがいいほどのテンポの良い彼の言葉は、こちら側が勝手に立てた仮説をどんどん覆していく。 次稿では、「本当につらい時期だった」と振り返る2021年から、再び日本代表に返り咲くまでの葛藤を明かしている。チームメイトから浴びた衝撃的な言葉とは……。 〈第2回へ続く〉
(「“ユース教授”のサッカージャーナル」安藤隆人 = 文)
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