エマ・ストーンや気鋭のクリエイターが集結して作り上げた「THE CURSE/ザ・カース」は“斬新”な現代の風刺劇
いま最注目のクリエイター3人がガッツリとチームを組んで、全方位に毒をまき散らすとんでもないドラマシリーズを作り上げた。日本では2月16日にU-NEXTで配信されたばかりの「THE CURSE/ザ・カース」である。 【写真を見る】クリストファー・ノーランも絶賛!A24とSHOWTIME製作のブラックコメディ「THE CURSE/ザ・カース」 3人のクリエイターとは、主演俳優兼プロデューサーとして『哀れなるものたち』(公開中)を世に送り出したエマ・ストーン。兄・ジョシュと監督した『アンカット・ダイヤモンド』(19)が絶賛され、『リコリス・ピザ』(21)や『オッペンハイマー』(3月29日公開)など役者としても引っ張りだこのベニー・サフディ。そしてリアルとヤラセの狭間の異様な実証実験でド肝を抜いた「リハーサル -ネイサンのやりすぎ予行演習-」(U-NEXTで配信中)のネイサン・フィールダーだ。 エマはアカデミー賞受賞の大スター。ベニーは巨匠マーティン・スコセッシも絶賛した気鋭監督。ネイサンはTVのリアリティショーで名を成したコメディアンで、日本での知名度はまだ低いが、2023年にタイム誌が「世界に影響力を持つ100人」に選出したほどの出世株。この3人が主要人物を演じるだけでなく製作総指揮も兼ね、ベニーとネイサンが共同クリエイターとして脚本を執筆し、ネイサンは全10エピソード中7エピソードで監督も務めている。 ■「笑うに笑えない居心地の悪さ」が核であり、最大の魅力 主人公は新婚夫婦のホイットニー(エマ・ストーン)とアッシャー(ネイサン・フィールダー)。2人は若き不動産業者で、ホイットニーがデザインしたエコ住宅を導入することで地域を活性化させるプロジェクトを推進している。さらにTVプロデューサーのダギー(ベニー・サフディ)と組んで、自分たち夫婦をメインにしたリアリティショーを売り込もうとパイロット版の製作の真っ最中。しかしアッシャーが街中で出会った少女に“呪い”をかけられたことをキッカケに、仕事でもプライベートでも不穏な空気が流れ始める。 ジャンルは「ブラックコメディ」という触れ込みだが、「THE CURSE/ザ・カース」に関してはあまりにもカテゴライズ不可能で、苦肉の策としてとりあえずブラックコメディと呼んでいるとしか思えない。もちろん笑えるシーンも少なくないが、むしろ「笑うに笑えない居心地の悪さ」が作品の核であり、最大の魅力なのだ。クリストファー・ノーランはデヴィッド・リンチの 「ツイン・ピークス」になぞらえて 「THE CURSE/ザ・カース」を絶賛している。 ホイットニーとアッシャーは、すっかり他人を揶揄する言葉に歪められてしまった「意識高い系」のカップルで、貧困家庭の多い地域をあえて選び、新たな雇用を生み出し、先住民の文化を尊重し、地元のアーティストをサポート、エコでSDGsなコンセプトに賛同してくれる人々を呼び込んで地域振興を図ろうとしている。リアリティショーも自分たちの理想を広く伝えるための手段だと信じている。 ところが、撮影開始早々から、リアリティショーに映ってほしくないものが続々と押し寄せる。例えばホイットニーの両親は地元では知られた悪徳不動産業者で、プロジェクトから切り離したいのに撮影現場に押しかけてくる。アッシャーはダギーに焚き付けられてカメラの前で貧しい少女に100ドルを渡すが、「それは撮影用だから」と奪い返してしまう。雇用促進のために入居させたコーヒー屋は勝手に休業するし、経営するジーンズショップには万引き犯が連れ立ってやってくる。さらに仲むつまじい新婚夫婦を売りにしているのに、ホイットニーにはアッシャーの一挙手一投足が下品で浅ましく見えてきて、夫婦関係にも窮地が訪れる。 逆にリアリティショーに映ってほしいもののために、ホイットニーは手段を選ばない。エコ住宅の買い手との交渉が上手くいかなければ、リアリティショー用のサクラの顧客をカネで雇う。ジーンズショップの万引きが警察沙汰になってはイメージが落ちるからと、万引きされた損失を自分のポケットマネーで補填する。ドラマ序盤では俗物で優柔不断な夫と、理想に突き進む妻に見えていたはずなのに、実はホイットニーこそが最も自分本位で、タチの悪い有害な人物に思えてくる。 決定的な大事件は起こらないまま、ボタンの掛け違いのようにあちこちがほころび始め、劇中のアッシャーならずとも「これは呪いのせいじゃないか」と疑いたくなってくる。しかも“呪い”をかけた少女はどうやら超能力を持っているらしい。え、そんなことあり得る?これってSFとかオカルトなの?そもそもこの話はどこに向かってる?終始誰かが監視をしているような異様なカメラワークも不安をあおる。リアリティショーを撮っている彼らのことを、誰かがまた撮影しているのか。だとしたら、このドラマ全体が壮大なリアリティショー仕立てってこと? ■「人生はフェイクなのか?」哲学的命題を突きつけるネイサン・フィールダー 視聴者を戸惑わせることにかけては、実はネイサン・フィールダーは天才中の天才だ。前述した「リハーサル~」は、一見すると素人参加のリアリティショーで、人生の重要な局面で失敗しないために「事前にリハーサルをしませんか?」と申し出る。例えば「友だちに大学院卒だとウソをついてしまったので、真実を告白したい」という人物のために、友だちと会う予定のバーと寸分たがわぬセットを建て、友だち役を演じる役者を連れてきて、どのテーブルに座って、飲み物は何を注文して、どんな流れで会話をほぐせばいいのかを、何百回も入念にリハーサルするのである。 見ているぶんにはバカバカしくて楽しいが、リハーサルの細部にこだわりまくるネイサンの偏執的な不安症こそが、番組の最大の見世物であることがわかってくる。ネイサンのリハーサルはどんどんエスカレートして、やがてネイサン自身も実験の中心人物となり、一軒家でフェイクの家族と暮らし始める。もうこうなってくると、リアリティショーなのか、リアリティショーのフリをしたフィクションなのかが判別できなくなってくる。 いや、そもそもTVに映っているものにリアルなんて存在するのか?そもそもわれわれの人生自体、既存のものを追体験するだけのフェイクな行為ではないのか?いつのまにかそんな哲学的命題がアタマをぐるぐるし始める。ネイサン・フィールダーとは、かくも油断のならないクリエイターなのだ。 ■SNS時代に生きる現代人をネタにした風刺劇と思いきや… 「THE CURSE/ザ・カース」がリアリティショーの舞台裏を描いていることも、ネイサンのこれまでのキャリアと無縁ではあるまい。「リハーサル~」がどこまでが偶発的な番組だったのかは知るよしもないが、「THE CURSE/ザ・カース」の劇中のリアリティショーは、仕込み、ヤラセ、サクラに侵食されてリアルからかけ離れていくばかり。そこにはメディアの送り手と受け手双方に向けた強烈な皮肉があり、「リハーサル~」を見ていた人間が、同番組の真偽をさらに疑ってしまうようにもできている。 ちなみにエマ・ストーンのキャリアも、リアリティショーから始まった。まだエミリー・ストーンと名乗っていた10代半ば、70年代に人気を博したシットコム「パートリッジ・ファミリー」のリメイクの出演者を選ぶオーディション番組に出演していたのだ(ストーンは勝ち残ったが、リメイク企画はパイロット版しか制作されなかった)。エマは「THE CURSE/ザ・カース」で描かれる演出過剰なリアリティショー描写について、実際のリアリティショーもほとんど同じようなものだったと発言している。 とはいえ「THE CURSE/ザ・カース」は単にメディア批判をするための作品ではない。ホイットニーもアッシャーもダギーも少しずつ自分を欺いていて、われわれを取り巻く人間関係がいかに薄氷の上に成り立っているのかを暴き立てる、空恐ろしいヒューマンドラマであり、またSNS時代の自己実現の落とし穴や、コンプライアンスに振り回される現代人をネタにした意地悪な風刺でもある…。 なんてことを考えていたのだが、最終エピソードではあまりにも斜め上の衝撃展開が待ち受けていて、「正直、理解しようとしていた自分がバカでしたごめんなさい」という気持ちになった。半ば途方に暮れ、半ば「もはやアッパレ!」という晴れ晴れとした気分で。この宙ぶらりんな中毒性をぜひ共有したいので、呪いの毒気に当てられても構わないという方はぜひ「THE CURSE/ザ・カース」をご覧いただきたい。 文/村山 章