右半身の麻痺で、ぼくはペンが持てなくなった… 「脳卒中サバイバー記者」の感謝と怨嗟
新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)する少し前の令和元年12月末、ぼくはそれまでの人生で最も衝撃的なことに見舞われた。仕事中に脳出血で倒れ、救急搬送。右半身が動かなくなり、長期の入院を強いられたのだ。これには本当に参った。寝たきりになった病床で、身体が思い通りに動かせないことが、なんと情けなく、せつないことかと思い知った。 その後、リハビリを続け、令和3年に元の職場に復帰することができた。周囲の理解もあって、現在も社会部デスクとしてニュースの取材編集の業務を担当している。 しかし、右半身の麻痺(まひ)は残っている。多少は動くが動作はぎこちない。中途障害者となったわけだ。発病当時は46歳。健康に自信をもっていただけに「何でぼくが…」と今でも思う。全くの想定外だった。 脳出血を含む脳卒中(脳血管障害)は、がんや心疾患とともに日本人の三大死因のひとつにも数えられ、寝たきりとなる原因の第1位の病気とされる。 そのまま亡くなってしまう人も多いだけに、周囲からは「命があっただけでも良かったね」と声をかけていただくこともある。「そうですね」と応じているが、本当に良かったかどうかは分からない。病気になんかなりたくなかった。 ただ、病気になったことで、自分の物の見方がずいぶんと変わったと感じている。病気になったからこそ気付けたことがある。身体が不自由になったぼくに、世間の人々は想像以上に温かく、やさしかった。 でも、例外もある。杖(つえ)をつきながら雑踏をもたもた歩いていると「邪魔だ」と悪態をつかれたり、舌打ちされることもある。こうしたことが幾度かあると、自分が「なめられている」というシビアな現実を実感する。そんなときは決まって麻痺の残る右半身はカッと熱を帯びて硬直するのだ。 周囲に良くしてもらい「ありがたい」と思う感謝の気持ちと、ばかにされ、穏やかならぬ心持ちになる怨嗟(えんさ)の思いが交錯する。気分は案外、不安定だ。 * * *