強豪への歩み/3 師の声に迷い吹っ切る /兵庫
<第91回選抜高校野球大会> 2011年春、明石商は快進撃を続けていた。地区大会をあっさり勝ち抜くと、県大会では川西緑台、滝川第二、東洋大姫路の強豪を連破。決勝で社を5-3で降し、初の「県王者」に輝いた。 当時のエース、尾崎貴紀さん(25)=神戸市北区=は「ついに目標を達成した。夏もいけると思った」と振り返る。 狭間善徳監督が就任した06年の入部組「狭間野球1期生」の活躍で、100人を超える大所帯となった明石商。部員が増えてチーム内の競争が激しくなれば、総合力がアップして成績も上がる。それを見た地元の有望選手が集まり、さらに競争が激化する。好循環が生まれつつあった。 ◇ 明石市が野球部の強化に乗り出したのは05年。普通科志向が高まる中、明石商の特色作りが課題だったという。当時を知る市関係者は「県立に負けない魅力を持った市立高に変えたかった」と語る。 野球部が強くなるにつれて市内の野球熱は高まり、学校も活気づいた。橋本浩二教頭は「目的がより明確になり、他の運動部も影響を受けた」と他の生徒にもプラスになった。 ◇ 地元の期待が高まる中、狭間監督は苦しんでいた。甲子園に手が届くところまできて「切符」をつかめない。 11年夏の兵庫大会は尾崎投手の好投も及ばず、準々決勝で東洋大姫路に0-3で惜敗。翌年、翌々年の夏も準々決勝で敗れた。昨秋のドラフトで西武に1位指名された松本航投手(日体大)を擁し、狭間監督が「手応えを感じていた」という14年夏も、社との準々決勝に0-3で敗れた。 「これ以上は無理か」。夏は5年連続で県ベスト8。さすがの狭間監督も心が折れそうになった。 14年夏の敗戦後、意気消沈する狭間監督に電話が掛かってきた。「お前、変なこと考えてないやろな」。師と仰ぐ明徳義塾(高知)の馬淵史郎監督の声だった。 「つらくても頑張っていれば、甲子園が迎えに来る。お前ならできるやろ」。愛弟子を気遣った馬淵監督の言葉に、狭間監督の迷いは吹っ切れた。「やったるわい」と再び甲子園に向けて立ち上がった。=つづく 〔神戸版〕