早朝まで“怒りの反省会”、創価学会を番組テーマに…在京テレビ局のタブーを打ち破った「やしきたかじん」が“浪速の視聴率男”だった理由
独特の間合いを持っていた
番組にしばしば出演した宗教学者の島田裕巳氏は言う。 「たかじんさんの番組では、東京のテレビ局では決して触れられない内容を扱っていました。私の専門の宗教で言えば、創価学会などを取り上げた番組は在京テレビ局ではまず不可能です。大阪でそれができるのは、たかじんさんの存在があったからです。 彼は司会者としては希有な存在でした。収録中も別段、何をするわけでもない。指し棒を持ってうろうろしている。司会者として仕切るというのとはちょっと違う。たかじんさんの真骨頂はどこにあるのかと言えば、議論が白熱して雲行きが怪しくなると、絶妙なタイミングで合いの手を入れてシリアスな話を笑いに変えていました。独特の間合いを持っています。 あくまで面白い番組作りをして行こうという意識がたかじんさんにはあって、彼がいると他の出演者もその意識を持つことができました。だからどんなに激しく議論しても、最後は笑える番組ができていましたね」
早朝まで続いたミーティング
番組のための日頃の努力は惜しまなかったという。関西テレビで長年番組制作に携わってきたプロデューサーは語る。 「私は1994年の番組スタートから『たかじん胸いっぱい』の制作に携わってきましたが、彼の番組への情熱の傾け方は並々ならぬものがありました。あの番組の収録は隔週で、夕方から夜にかけて2本撮りするのですが、撮影が終わると必ず彼の楽屋で反省会が行われました。楽屋は4畳ほどで狭いのですが、そこにチーフプロデューサーからディレクター、アシスタントディレクター、構成作家まで何人もスタッフが集められます。 当然、何人かは扉の外に立ったまま。夜始まって、早朝まで続く。肉体的にも精神的にもきつかった。ビールを飲みながら始まり、途中からワインになる。足りなくなると近くの酒屋まで買いに走るんです。日 が変わった頃からたかじんさんのスイッチが入り、ヒューズが飛んで怒鳴り口調になります。 彼の指摘は、『あのゲスト選びは何や』『VTRがしょうもなさすぎる』と様々でしたが、問題点を話し出すと次から次に飛び火して止まらなくなるんです。最終的にはプロデューサーなど信頼の厚い人が『そろそろ……』と取りなして火消しをしないと永遠に続くんです。でもみんな、自分のためになると分かっていたから、彼は尊敬され、愛されていましたね」 *** 言いたいことは言う過激さを隠さない一方で、実は気遣いの人でもあった。第2回【北新地のクラブを10軒ハシゴ…大阪に愛された「やしきたかじん」が歩んだ“ボンボン”から“浪速の視聴率男”への道】では、子供時代を知る親族や、懇意にしていた飲食店の関係者らが、テレビでは観られなかったやしきさんの素顔を語っている。
デイリー新潮編集部
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