島袋寛子さん(40歳)…解散後に初めて行ったファミレスでした「予想外の会話」とは|美ST
「SPEED」の名の通り、CDデビューから一気にスターダムを駆け上がったダンスヴォーカルグループ、SPEED。破竹の勢いで数々の記録を打ち立てながら、さらなる活躍を見せようという中、1999年10月に突然の解散宣言。街に号外が出るほど日本全国を騒然とさせました。SPEEDのリードボーカル・島袋寛子さんの、解散に至るまでの思いを掘り下げていくと、そこには島袋さんの歌い手としての真摯な姿勢がありました。40歳になった今だからこそ気づけた、1990年代を代表する伝説的グループの解散秘話をお届けします。 【写真あり】奇跡の40歳!色気漂う島袋寛子さん
お話をうかがったのは…島袋寛子さん・40歳
《Profile》 1984年4月7日生まれ。沖縄県出身。3歳から沖縄のアクターズ・スクールに通う。SPEEDとして12歳でデビュー。正式なソロデビューは1999年発売の「AS TIMES GOES BY」。ジャズのプロジェクト「Coco d’Or」にて3枚のアルバムを発表。 2008年にSPEED の活動を再開後もソロ活動を並行し、2013年にアルバム「私のオキナワ」をリリース。ミュージカル、映画等で演技にも積極的に取り組む。アロマセラピー・ボディトリートメント・カラーケアシステムの資格を持つなど多岐に渡り活動。
同年代の子が経験することをできないまま、大人になることが怖かった
みんなと一緒じゃないと嫌だ、というわけではないのですが、「人としてこの感覚は合ってるのかな?」という部分は昔からすごく気にしていましたし、その感覚からズレてしまうことが必要以上に怖かったんです。 歌手になりたい一方ですごく真面目な部分があって、当時、普通に同世代の子達が体験できることを同じタイミングで経験しないでいいの?と不安を覚えるようになっていて。このままじゃ人とズレてしまうんじゃない?このままじゃ説得力のない大人になっちゃうんじゃない?発信する側なのに、何を歌っても、経験が伴っていないままだと説得力に欠けてしまうのではないかと――。 そうした感覚は、私の母が「人として」という部分をとても大切にしていたこともあるし、SPEED初期から担当だった女性のマネージャーさんも、いわゆる一般的な感覚を大切にするように指導してくれたからかもしれません。一般的というと多様性の時代にはそぐわないのかもしれませんが、この業界はオープンで自由度が高いからこそ、むしろ重要な感覚だと強く大切に思っていました。