『下剋上球児』鈴木亮平演じる南雲が非情な決断を下す 問われる“下剋上”の真価
伸びゆく若者と大人の役割
人は試された時に本物かどうかがわかる。大事な試合を前にスタメン落ちや打順変更を告げられれば、動揺してもおかしくないし、ショックは大きいだろう。だが、ひたむきに練習を重ねてきた彼らは肚が据わっていた。自分たちが呼び戻した南雲に切られても、何か考えがあってそうしていると信じることができた。不意の方針転換に揺さぶられないだけの強さがあった。 『下剋上球児』を観ていると、人はこうやって成長していくんだと感じる。多感な10代を通して悩み、揺れながら、前を向いて進むなかで大人の階段を昇っていくその過程を、本作は一筆ずつ丹念に描く。フィクションの形式をとっているが、球児たちの成長を追うリアリティショーの内実があり、その意味で、球児役のオーディションと舞台裏を明かした『下剋上セレクション~ドラマ出演を懸けた熱き予選大会~』とコンセプトを共有している。 伸びゆく若者に対して、大人の役割は何だろうか。本作には生徒やかつての教え子を見守る大人たちの視点が登場する。南雲や山住(黒木華)と球児は言うまでもなく、犬塚(小日向文世)が翔に注ぐ愛情や、南雲に対する賀門の働きかけがそれである。無責任に若さを礼賛し、一瞬の輝きを消費するのではなく、そこには見返りを求めず、未来のために尽くす姿勢がある。「1日でも多く、あいつらに野球をやらせてやりたい」と言うとき、南雲は真剣に部員たちの人生を考えている。そんな南雲だから部員たちはついていこうと思うのだ。 教育は教え、守り、育むことの繰り返しで、『下剋上球児』はそこにある愛の深さを描き出す。いよいよ下剋上の真価が問われる星葉戦、甲子園出場をかけた戦いの火ぶたが切って落とされる。
石河コウヘイ