大貫妙子がライブ盤、仲間と共に…活動半世紀「予想していなかった」
シンガー・ソングライターの大貫妙子が昨年11月の公演を収録したライブ盤「Taeko Onuki Concert 2023」(コロムビア)を出した。自身の音楽にとって最も大事な要素は、人。「ある程度のサウンドは自分の中に浮かんでいます。それを手がかりに誰と一緒にやるのかが一番重要じゃないですか」と語る。(鶴田裕介)
2020年はオーケストラと、21年はアコースティックで――。近年はライブが活動の主軸だ。「1970年代、80年代と、10曲以上書いたらアルバムを作るということをずっと続けてきました。ライブも一種のアルバムと考え、残しておきたいという思いがありました」と、ライブ盤を出す理由を説明する。
23年はドラマーの林立夫、キーボードの森俊之ら長く活動を共にしてきた名手らによる伴奏で「都会」「朝のパレット」と初期から近年の曲まで幅広く歌った。「いつも特にコンセプトは決めていないんです。その時にやりたい曲をやり、あとはメンバー次第」
山下達郎らと結成したバンド、シュガー・ベイブのデビューから来年で50年になる。それほど表舞台で活躍し続けられるとは「予想していなかった」と語る一方、その時々で音楽仲間に恵まれた。バンド時代は山下との音楽の作り方の違いを明確に意識していたそうで、「山下君も言っていました。『俺はスタイルで作るけれど、君は何もないところから作る。だから全然違う』って」。
ソロ転向後は昨年死去した坂本龍一と付き合いが長く、「兄と妹みたいなところがありました」。時には一昔前の父親のように怖い面もあったという。「いきなり『何言ってるんだ!』とどなることも。火山のような人で、一緒に仕事をするのは大変。なだめながら、褒めながらです」と笑う。
17年には日本のポップスを愛する米国の青年が「SUNSHOWER」(77年)のレコードを探しに来日した様子がテレビ東京「YOUは何しに日本へ?」で放送されて話題に。自身もこの番組を見ていた。「(青年が)レコードを見つけた場面では私も『あったー!!』と一緒に叫んじゃいました」。近年、世界的なシティ・ポップブームで大貫作品の再評価が進む。「若い人が探すレコードの中に、私が入っているのはうれしい」と喜びつつ、世代や国境を超えた音楽を意識して作ったことはないと明言する。「今、書きたい曲を書く。どういうものが受けるのか考えたことはありません」。そんな真摯(しんし)な姿勢が、長い評価につながっている。
7月9日、東京・EXシアター六本木で公演。(電)0570・550・799。