【9番街レトロ・京極風斗】「プライド」のお話。
神保町よしもと漫才劇場を拠点に活動している芸人「9番街レトロ」の京極風斗(きょうごく・かざと)さんは、極端なほどに“0か100か”で生きている。そんな京極さんは「自他共に認めるほど、プライドが高かった」。自分自身の誇りを持ち続けるために、ときには面倒に感じることもある。それでも、ありったけのエネルギーを注ぎ込み、真正面からぶつかることで、誰かの魂をゆさぶる“何か”になることがあるのかも。 芸歴10年を超えた芸人が思う、「大事にしてほしいもの」
9番街レトロ・京極風斗
連載【0か100かで生きてゆく #61】 ー プライド ー
Illustration: Kazato Kyogoku
魂をゆさぶるほどのエネルギー
そこの青い人間よ。 君だよ。 「私は青くなんてない」 そう思っている君だよ。 その、「私は青くなんてない」を大事にしてほしい。 本当に大したことのないプライド。 今、君が持っている、その小さなプライドを大事にしてほしい。 僕は最近、大事にできていないかもしれない。 それが良いことか悪いことかは、事切れる瞬間まで分からないと思う。 大事にしないことで得られた社交性はあるが、それによって失った人間としての面白味も少なからずあると思う。 僕は元来、プライドの高い人間です。 自他共に認めるほど、プライドが高かったはずです。 それを守る為なら、なんでもできましたし、なんでも捨てられました。 ただ、10年も芸人をやると、実感するわけです。 プライドが折られた瞬間に笑いは起こるし、そもそもエンタメにおいて一番使いやすい人材は、「プライドのない者」なのです。 そんな環境で過ごしていると、サーカスのピエロがそうなように、上手に失敗する術ばかり会得していくわけです。 なんなら、そういう人間がかっこいいと思うようになってくるのです。 だから、意識して捨てたプライドもあれば、「捨てた方が楽だ」と体が覚えてしまったものもあります。 別にそれで困ったこともないですし、やはりそのマインドの方がやり易い状況が多いです。 ただ、たまに考えます。 「主張するのをサボっているだけではないか?」 これはきっとあるんだと思います。 「プライドを通す」って本当に面倒くさいんです。 例えば他者からの意見に対して、否定しないと自分のプライドを曲げることになる状況のとき。 昔は何がなんでも否定していましたが、ある日を境にその作業が自分の中でかなり面倒くさいことになっていて、「別にコイツにとってそうならそれでいいか」と、適当に受け入れたポーズだけを取るようになりました。 見ている人はそれで喜ぶし、言った人もしてやったりだし、話が早くて楽なんです。 その現場におけるマジョリティ目線での「正しい収まり方」が、「しんどくない道」として見えてしまうようになったんですね。 別にコレに文句があるわけではないんです。 「そういう仕事」として全然割り切れる部分ではあるんですが、反面、寂しいというか、「精神的な老い」を感じて自分に対して申し訳ないと思うことがあるんですよね。 面と向かって物事を否定する時ってものすごいエネルギーがいるじゃないですか? その点、肯定は脳みそが無くてもできるんです。 身体が老いて運動機能が低下するように、脳も老いると議論の機能が低下するんでしょう。 無意識のうちに楽な方楽な方に流れていくんです。 「歳をとって丸くなる」なんて表現がありますが、丸くなったというよりは、「尖った部分を隠すのが上手くなった」が、実際のところではないでしょうか。 是非はおいといて、生涯誰かと喧嘩してる人を見ると、脳が元気で羨ましいと思うんです。 そして、そういう人間が反骨精神から生むモノには、魂に訴えかけるようなアイデアが詰まっていると思うんです。 僕はまだ少しだけ抗うつもりです。 僕にはまだ少しだけエネルギーが残っています。 適宜プライドを通しつつ、皆さんに笑ってもらえる人間になれるように。 でも完全に捨て切ってしまう日がくるかもしれない。 その日を想うと少し寂しい。 だから。 そこの青い人間よ。 その、一見くだらないプライドを抱き締めたまま大きくなってほしい。 ソレが将来、他のバカを助ける何かになるかもしれないから。