行方不明だった“お殿様の肖像画”が100年ぶりに発見 畳に座る姿…東京の古書店から110万円で入手 国宝松本城
見つかった場所は…古書店
100年近く行方不明だった江戸初期の松本城主戸田康長(1562~1632年)の肖像画が、20日までに見つかった。 【写真】見つかったお殿様の肖像画。徳川家康の義兄弟、畳に座る姿が描かれる
肖像画は「束帯姿で畳に座る姿」
徳川家康の義兄弟で戦国武将として活躍した康長は、2度にわたって松本城主となった戸田家の初代。肖像画は元々岐阜県関市の龍泰寺にあったが、所在が分からなくなっていた。散逸史料を収集している長野県立歴史館(千曲市)が東京都内の古書店から入手。調査で、康長の没後に実の娘が発注した来歴も明らかになった。
所在不明だったが、古書店から110万円で購入
縦約78センチ、横約35センチ。康長の法名「祥雲院殿四品前丹州大守」が記され、束帯姿で畳に座る姿が描かれている。1921(大正10)年、東京大学史料編纂(へんさん)所(東京)が模本を作成。その画像は公開されているが、現物は戦争時の混乱から所在不明だった。都内の古書店に出品されたと2021年夏に判明、同館が23年度に110万円で購入した。
国宝松本城 戸田家は約160年治める
康長は三河国二連木(にれんぎ)(愛知県豊橋市)生まれ。徳川家康の異父妹・松姫と結婚して松平の姓を与えられ、「康」の字も得た。1617(元和3)年に7万石の松本城主となり、1632(寛永9)年に松本で亡くなった。
戸田家はその後、明石(兵庫県)、美濃加納(岐阜市)などに移り、1726(享保11)年に再び松本入り。最後の藩主となった戸田光則は明治維新で廃仏毀釈(きしゃく)を大々的に行った。松本城主は6家23人が務め、うち戸田家は11人で最長の計約160年治めた。
明治時代、廃仏毀釈が激しかった地域「特別な意味」
県立歴史館の村石正行・文献史料課長は「特に松本は廃仏毀釈が激しかったこともあり、大名の肖像画はあまり残っていなかった。館では唯一」と貴重さを指摘。「松本藩戸田家は戦国時代の争乱後、太平の世になって松本に入り、藩の最後を見届けるなど松本の文化に多大な影響を与えてきた。その藩祖が康長で特別な意味がある」とする。今後、展示も検討するという。
娘発注の由来も明らかに
戸田康長の肖像画発見は史資料散逸が急速に進む中、県立歴史館が全国の古書店などの情報をこまめにチェックしてきたことが奏功した。村石正行・文献史料課長は、岐阜県関市の龍泰寺にあった謎などが解明されつつあり、価値が把握できたことも文化財保全活動として重要―とする。