伝説の「2004年アジア杯中国大会」決勝Tを中村俊輔×福西崇史が振り返る「あの頃のメンバーは何年経っても戦友」【新春スペシャル対談】
不動のボランチとしてジュビロ磐田の黄金期を支え、2006年開催のドイツワールドカップには、日本代表の中心メンバーとして出場。日本サッカーが世界水準へと飛躍していく瞬間をピッチの中央から見つめていた福西崇史が、サッカーを徹底的に深掘りする連載『フカボリ・シンドローム』 【画像】アジア杯中国大会を振り返るふたり 第86回は、引き続き中村俊輔氏を迎えてのスペシャル対談「中村俊輔×福西崇史が語るアジアカップ」のシリーズ第3回をお届けする。 2004年中国大会の決勝トーナメントは、準々決勝から死闘が続いた。伝説のPK戦、ジーコの勝負師采配、大アウェイの中国との決勝。今でも語り継がれる激闘を2人に振り返ってもらった。 ■準々決勝 ヨルダンとの伝説のPK戦 ――前回は2004年アジアカップ中国大会のグループリーグまでを語っていただきました。今回は決勝トーナメントについてお話を聞きたいのですが、今でも語り継がれるほどの死闘でしたよね。 まずは準々決勝・ヨルダン戦、延長戦を戦ってなお1-1と決着がつかず、決勝トーナメントに入っていきなりPK戦までもつれ込みました。 福西崇史(以下、福西) やっぱり今振り返ってもあのヨルダンのPK戦はすごかったよね。シュンは嫌がるかもしれないけど(笑)。 中村俊輔(以下、中村) そんなことないですよ(笑)。自分は外しちゃったけど、結果的にはみなさんに本当に助けられました。 ――見ている人にもわかるほど芝に苦戦している印象でした。 福西 改めてあのペナルティスポットの芝は酷かったよね。 中村 本当に。芝の一部がずれるならまだしも全体の地盤がずれるみたいな感じでしたからね。 福西 どういう芝の敷き方したらああなるんだろう。 中村 本当にゆるくて、2番目がアレックス(三都主アレサンドロ)で、自分と同じ蹴り方をするじゃないですか。だからアレックスに言ったんですよ。全体がずれるぞって。でもまんまと同じ外し方しましたからね(笑)。もっとちゃんと伝えればよかった。 福西 でも、アレックスも蹴る前にいつもよりちゃんと地面を踏み固めていたんだよ。それでもダメだったから相当ゆるかったってことだよね。俺もあとから見たらあそこだけつぎはぎみたいな感じだった。