<でっかい夢・’21センバツ大崎>/中 敗戦乗り越え夏頂点 /長崎
「本当にみじめな負け方だった」。2018年4月に大崎の監督に就任した清水央彦(あきひこ)監督がそう振り返るのが、19年夏の長崎大会だ。有力選手がそろった新入生も2年生になり、甲子園出場への期待を背負って臨んだが、初戦で鎮西学院に3―12でコールド負けした。 その日の夜、清水監督は選手たちと寝食を共にしている野球部寮で、当時主将だった坂口航大さん(18)らに相談した。「このままだと勝てない。もっと厳しくしていいか」。前任校でも厳しい指導で知られた清水監督は「やり過ぎたらいけないと遠慮していた」という。返事は意外だった。「もっと厳しいと思って入部しました。大丈夫です」 「『できること』ではなく『勝つために必要なこと』をやる」。清水監督は新チームで指導方針を切り替えた。それまで大目に見ていたミスも細かく指摘し、投打のフォームやフライやゴロの取り方、走塁などより細部まで基本を徹底させた。 快進撃は間もなく始まった。秋季県大会で、大崎はエースの田中駿佑投手(当時2年)を軸に破竹の勢いで勝ち上がり、決勝では前年のセンバツ8強の創成館に競り勝って58年ぶりに頂点に立った。九州大会では初戦で敗れたが、ナインは確かな手応えをつかんだ。 「夏の甲子園」に目標を定め、冬場の練習に励んだ選手たち。グループごとに270メートルを何も持たずに10本、重い丸太を抱えて再度10本、設定タイム内で走る「インターバル」など厳しい練習で心身を鍛えた。だが、春先に思わぬ“敵”が待ち構えていた。 新型コロナウイルスの感染が拡大し、春のセンバツに続いて5月には夏の甲子園の中止が決定。選手たちは目標を見失い、「チームのモチベーション低下は明らかだった」(坂口さん)。いつもはにぎわう寮での夕食の時間も、気まずい沈黙が流れた。練習時間も集中力を保つだけで精いっぱいだった。 「このままじゃだめだ」。坂口さんは寮で仲間と話し合った。「(長崎大会に代わる)県独自大会で優勝し、去年の秋以降続けている県内無敗の記録を守り抜こう」。全員で新たな目標を確認し、気持ちを切り替えた。3年生全員がベンチ入りして臨んだ独自大会では優勝候補の長崎商などを撃破。優勝の瞬間、マウンドには歓喜の輪が広がった。 だが、選手たちは複雑な思いも抱えていた。本来なら甲子園に行けたはずなのに……。拭いがたい未練が残った。「俺たちを甲子園に連れて行ってくれ」。甲子園を夢見て大島に渡った3年生たちは、後輩に願いを託した。 〔長崎版〕