3000m障害と駅伝の「両立」めざして進学、ラストイヤーは駅伝だけで勝負 順大・服部壮馬「強い順大を取り戻す」
昨シーズンは、全日本大学駅伝でも箱根駅伝でも3大会連続でつないできたシード権を逃してしまった順天堂大学。巻き返しを図る今シーズンの駅伝主将には服部壮馬(4年、洛南)が就任した。3000m障害(SC)で昨年の世界選手権6位入賞を果たした三浦龍司(現・SUBARU)とは高校からの仲。種目も3000mSCを専門としてきた服部だが、ラストイヤーは駅伝だけにかける。 【写真】昨年の全日本大学駅伝で1区を走った服部壮馬
三浦龍司のレースを見て「かっこいい」
京都出身の服部は、6歳上と2歳上のお姉さんの影響で陸上競技を始めた。小学生の頃は、2歳上の姉の練習に交ぜてもらったこともあり「中学の先生から『中学に入ったら陸上をやってみないか』と声を掛けてもらったことが大きかったです」。当初から長距離種目が専門で、中学3年のときに三浦のレースを見たことがきっかけで「かっこいい」と思い、高校1年から3000mSCに取り組むようになった。 3000mSCは、走る間に障害物を28回、水濠を7回越える。最初のレースで服部は「きつい」よりも「楽しい」という感情が先に来たという。「普通に走っているだけじゃなくて、障害を跳びながらの駆け引きとかが楽しいと感じました」。憧れの存在だった三浦や早稲田大学に進んだ諸富湧といった先輩たちにも恵まれ、めきめきと力をつけた。高3の10月に行われた全国高校陸上では、分須尊紀(現・日本体育大学4年、東農大二)、黒田朝日(現・青山学院大学3年、玉野光南)に続く3位。全国高校駅伝では4区を走り、チームの3位入賞に貢献した。
昨年の全日本で1区を走った後、けがで約4カ月間走れず
順天堂大に進んだのは「3000m障害と駅伝を両立できる大学を考えていたことと、中学校のときから体育の先生をめざしてみたい」と感じていたから。入部間もない5月に開催された関東インカレ男子1部3000mSCで2位に入り、いきなり頭角を現した。この年、三浦は東京オリンピックで7位入賞。日本選手として初の快挙に「やっぱりすごい」と感じる一方、「あのレベルまでいきたい」とも思うようになった。 「大学1年のときは結構タイムが出ていたので、2年になる頃には『憧れる』よりも『目標』にして、数年後は一緒の舞台で勝負したいと思うようになりました。憧れだと遠い存在のように見えますが、超えていかないといけない存在にした方が、めざしやすいというのもありました」 2年目も学生個人選手権で8分45秒84をマークし2位に入ったが、その後は三浦に「離されている」感覚が募った。3大駅伝もルーキーイヤーは出雲駅伝でデビューしたものの、2年目は出走せず。3年目の昨シーズンは学生個人で3000mSCに出場した後、「5000mで力をつける」方針に切り替えた矢先、けがに見舞われた。「8月に左の腓骨筋腱(ひこつきんけん)を痛めてしまって、ほぼ夏合宿はできていませんでした」 再び走れるようになったのは、10月の上旬だった。復帰から2週間後に10000mを走ると、今度は左の腸脛靱帯(ちょうけいじんたい)に違和感が出てきた。それでも11月5日の全日本大学駅伝には1区で出走。13位で三浦に襷(たすき)をつないだ。レース後、違和感は痛みに変わった。「痛みがなくなって走ったら、また同じところに痛みが出てくるということを繰り返していました。箱根駅伝の前も走れていないです。結局走り始めたのは、3月の学生ハーフ(10日)の後でした」