プロ意識の欠如で故障、知らぬ間に金銭感覚も麻痺して…4年で戦力外通告された元阪神投手(44)が明かす、入団1年目の後悔
プロ入り後、少しずつ狂っていく金銭感覚
しかし、プロ1年目に早くも右ひじを痛めてしまう。高校を卒業したばかりで、まだ身体が十分にできていない状態で無理をしてしまったことが原因だった。 「故障したのは、自分の意識の低さが原因でした。それまでの練習や身体のケアは、すべて自己流でした。甲子園に出場するようないわゆる“全国レベル”を知らなかったのです。それがいきなりプロに入ったことで、何もかもそれまでのやり方とは違っていたことに気付かされたんです。ハッキリ言えば、プロ意識が欠如していた。それが故障の最大の理由だったと、今なら思えますね」 奥村がプロ2年目となる99年、タイガースは野村克也を指揮官として迎え入れた。「ID(データ重視)野球」を掲げ、ヤクルトスワローズを何度も日本一に導いた名将は、故障に苦しむ奥村に注目したという。 「1年目のオフにケガをして、2年目はほぼリハビリに費やしました。それでも、ようやく投げられるようになって実戦復帰した秋季キャンプで、野村監督から強化選手に指定されました。3年目ぐらいまでは、“首脳陣はオレに期待してくれているんだな”というのは感じていました」 公称188センチメートルという高さから投じられる角度のあるストレート。さらに大きく曲がるスライダーも持っており、コントロールには絶対的な自信があった。コントロールを重視する野村にとって、奥村は理想的な投手だったのだ。3年目の春季キャンプでは一軍帯同が認められた。 「キャンプ、オープン戦ととても充実していました。結局、二軍で開幕スタートとなったけど、ファームではローテーション入りも果たして、“そろそろ一軍昇格だ”というときに肋骨を疲労骨折して、最初のチャンスをフイにしてしまいました。ケガが治ってからも、おそるおそる投げているうちに、今度は肩を痛めてしまった。この頃は、自暴自棄とは言わないけど、遊びというか、ラクな方、ラクな方を優先して、リハビリ期間中に自分をレベルアップすることを怠ってしまいました。後から考えたら、すごくもったいないことをしてしまったと思います」 この頃、奥村は先輩選手に連れられて酒を呑むこと、夜の街の楽しさを覚えてしまった。知らず知らずのうちに、金銭感覚も狂ってしまったという。 「野球界の良き文化の一つとして、年長者と食事に行くと、その先輩が食事代を払ってくれます。そうすると、自分の年俸以上の遊びを覚えてしまうんです。高級店で食事をしたり、値札を見ずに買い物をしたり、知らず知らずのうちに、金銭感覚が狂っていったのも、この頃のことでした」