【バスケ日本代表】ジョシュ・ホーキンソンが振り返るW杯「自国開催でファンの応援が力に」
沖縄、フィリピン・マニラ、インドネシア・ジャカルタを舞台に、史上初の複数国開催となったFIBAワールドカップ2023(以下、W杯)。男子日本代表は史上初となる大会3勝を挙げ、48年ぶりの自力での五輪出場権を獲得するなど輝かしい成績を残した。 国際大会で連敗が続いていた男子日本代表にとっては夜明けを感じさせる大会となったW杯だったが、その快進撃を支えたのがジョシュ・ホーキンソン(サンロッカーズ渋谷)だ。今年2月に日本国籍を取得したホーキンソンは、全5試合に先発出場し、チームトップとなる平均21.0得点10.8リバウンドを記録。パリ五輪出場権がかかったカーボベルデとの最終戦では終盤に勝利を決定づける3ポイントショットを沈めるなど、まさに救世主といっても過言ではない活躍を見せた。 ホーキンソンが語る当時の心境や日本代表への思いとは-。(※2023年11月取材)
大会後は知名度アップで生活激変「散歩もできない」
-まずはW杯お疲れさまでした。W杯を終えてみての心境はいかがでしょうか? W杯全体を通しては、すごくいい経験になりました。日本という国を背負って戦っていましたし、会場に来てくれたたくさんファンの思いを背負って戦っていました。自国開催でファンも来て応援をしてくれるのは大きな力になりましたし、違いを生んでくれたと思います。 ファンのエナジーを感じる場面は確実にあったし、それを力に変えて勝利を手にすることができました。大きくリードされていて諦めたくないときなどにファンの応援に頼っていました。なので、僕たちにとってはファンの存在が重要な要因になっていたと思います。日本のファンのみなさんの前でいいプレーが見せられてよかったです。パリ五輪出場権を獲得できたことも非常に大きかったですね。 -テレビなどのメディア露出も増え、知名度も上がったと思います。生活の変化はありましたか? 個人としてこんな感じになるとは思っていなかったです。最初に日本に来た時と今の状況を比べるとまったく違いますね。散歩など以前は普通に出来ていたことがもう出来なくなっています。W杯後は誰も自分のことを知らなくて普通に暮らせる、ということはなくなっていますね。タクシーで移動したり、なるべく目立たないようにいろんなことをやっている感じです。もちろんみなさんに自分が誰かを知ってもらっているのは嬉しいですけど、たまには注目されずに一人でいたくなることもあります。どちらの生活にも良さがあって、ないものねだりという感じです。 日本代表の躍進についてはとても誇らしいです。国際大会で結果を出し、成長し続けていて、日本国内でのバスケ人気やレベルも大きく上がっている。それは自分にとっても常に目指していたことでした。日本が好きで、バスケが好きで、その2つがうまく融合している状態だと思います。以前から、日本国内や世界に対して日本への愛やバスケへの愛を広めていきたいと思っていました。それはずっと目標だったことですし、今後の目標でもあります。 -W杯が始まる前、渡邊雄太選手やホーキンソン選手を含め日本代表チームには多くのケガ人が出ていました。不安などはありましたか? (W杯は)ケガ人が多くて難しい大会になると思っていました。特に僕と(渡邊)雄太が(W杯前に)一緒にプレーできないのが大変でした。W杯では2人とも長くプレーすることになると分かっていたし、2人のプレースタイルから上手くプレーできるかどうかは心配していなかったですが、本番前にあまり一緒に練習ができていなかったのは不安要素でした。日本代表とチームの能力に自信はありましたが、(渡邊と)一緒に練習できている時間が短かったのでどこかで不安に思う気持ちはあったと思います。 そんな状況ではありましたが、メンバー全員が共通の目標を持って、それを達成出来ると信じていました。お互いのことを信じていたし、誰かがいなくてもほかの誰かがステップアップできると思っていました。実際、コートに誰が出ていたとしても全員が目標に向かって全力でプレーしていましたしね。全員が情熱をもって、試合終了の笛が鳴るまで全力でした。コート上で何が起こったとしてもです。だからこそW杯で成功できたんだと思います。