街裏ぴんく、苦節20年でたどりついた「R―1」頂点「本当に長かった」…仕事は「体感で5倍くらいに増えました」
お笑い芸人の街裏ぴんく(39)が、ピン芸人日本一を決める「R―1グランプリ2024」で頂点に立った。苦節20年。「継続は力なり」を貫き通し、栄光にたどり着いた。 【写真】絶叫「R―1に夢はあるんですよー!!!」 歓喜の瞬間、膝から崩れ落ち、あふれ出る涙を止められなかった。「両親と嫁の顔が頭に浮かんで。意図せずに泣いて、崩れ落ちてしまいましたね」。少し照れたように振り返ると、うなずきながら重ねた。「20年間というのは、本当に長かったですからね」 2004年にコンビを結成。解散を経て漫談家になり、12年に上京した。「長い時間かかるだろうと思っていたけど、まさかこんなに…」。13年に結婚し、15年から、後に自身の代名詞となり、R―1でも披露した「ホラ漫談」を始めた。それでもヒットしない。「怖い」「もう引き返せない」。自身に問いかける日々の連続だったが、自信は揺るがなかった。 「ライブのお客さんが笑ってくれて。ここでスベっていたらどこにも通用しないと思うんですけど。お客さんが増えもしないけど、減りもしなかった。それが、支えでしたね。あとは、笑福亭鶴瓶さん(72)や鈴木おさむさん(51)が褒めてくれて。救いでしたね」 「継続は、力なり」を体現して、ピン芸人の頂点に立った。「ヒットの法則というほど立派なモノじゃないですけど、何事もブレずに、かたくなに。誰に何を言われても、信じたモノを貫いてきて良かったと思います」 優勝直後、「R―1にも夢がある」と叫んだが、どうも様子が違う。「(22年に優勝した)お見送り芸人しんいちから電話が来たんですけど、『1か月は、覚悟しなさい。移動中しか眠れないから』と。でも、3日で終わったんですよね。しっかり眠りすぎて寝違えもしましたし」 自虐ネタで笑ったが、仕事量は「体感で言うと、5倍くらいに増えました。もともとがないようなものですから」。 大きな肩書を背負ったが、覚悟は変わらない。 「R―1に夢があると言いましたけど、これからも自分次第。しんいちは『チャンピオンということは、すぐに忘れられます。そこからです、地獄は』とも言っていたんですけど、その境地はこれから来るのかもしれない。ただそうなっても、“ホラ漫談”や独演会で面白いモノをつくり上げたい。そうでないと、20年間で何をしてきたのかと思われる」。最後には、自身にも言い聞かせるように、再び生きざまを言語にした。「やり続けないと、自分の過去に対しても失礼になりますから」(田中 雄己)
報知新聞社