「生産性なんてなくていい」「どこにも行かない関係は美しい」――映画「湖の女たち」公開記念対談 監督・大森立嗣×原作者・吉田修一
命の根源に触れる仕事
吉田 佳代は介護士という設定なんですけれど、そこにも意味があったんじゃないかと思っていて。生命の終わりの時期を迎えて生産性がまもなく尽きようとしている人間から、身体を丸ごと任されてしまう、委ねられてしまうという恐怖にさらされている。命の根源に触れる仕事だと思うんですけれど、介護する者と介護される者の間にも、生産性という残酷な言葉と響きあう何かがある。 大森 佳代は自分の父親の面倒も見ていましたね。ちなみに、うちは親父(麿赤兒氏)がほとんど家にいなくて。年子の弟(大森南朋氏)の父親役を演じさせられるのが嫌だったのを思い出しましたね。 吉田 なるほど。 大森 この作品では関東軍防疫給水部本部、いわゆる731部隊も大きな意味を持ちますね。 吉田 作者としてあまり安易に結びつけたくはないのですが、731部隊というのは人間の生命を極端に扱うものだったわけです。その731部隊の流れから人工湖の平房(ピンファン)湖が自然に物語に登場して、これで広がった物語を一点に収斂(しゅうれん)させていけると思いました。
役者はただそこに立て
吉田 ところで、大森さんはどうやって芝居をつけていくんですか? 大森 芝居もせりふに社会通念とか道徳みたいなものが乗っかってくると、途端につまらなくなるんですよ。意味とかね。品がなくなっていっちゃう。そんなものはただ邪魔でしかないんです。福士くん、はじめはけっこう苦しんだんですよ。芝居が硬かった。真面目だから作品の意味みたいなことを考えちゃったんだと思いますけど、“何も考えなくていいんだ”“現場に立って反応し続けりゃいいんだよ”って、辛抱強く言いましたね。 吉田 試写のあとに主演のお二人と言葉を交わす機会があったんですけれど、「最後までよくわからなかった」って苦笑いしてました。原作者としては少し心苦しいですけれど(笑)。 大森 それでよかったんだと思います。「わかる」というのとはまったくちがうものを提示したいので。 吉田 二人とも色っぽかった。どこにも行かない関係って美しいと思うんですよ。みんな、誰かと誰かが出会ったら、どこかに進んで行かないといけないような気になるのかもしれないけど、どこにも進まず何も生まないという選択肢だってある。そのままでよくない? っていう。 大森 それも、演出している時に一番思うことなんですよ。“そのまんまでいいんだ”“それでいいんだ”と役者たちに言い続けるだけですね、俺はいつも。役者はみんな一所懸命台本読んで、いろいろ考えてきて、“ここってこういう意味ですよね?”って言うんですよ。芝居のいろんなパターンを用意してきてくれたり。けど、そんなのどっちだっていいんだ、まずはそこにただ立て、って。映画の撮影現場って、忙しい役者を集めて、限られた時間で台本通りに撮り切らないといけないんで、文字通り生産性だとか合理性みたいなものが重要視されていくんですけれど、芝居と向き合うっていうのはむしろ、そういうものから逃れられる時間だと思うんですよ。 吉田 そうですよね。