「長期の審理事件は対象外にできる」との閣議決定 裁判員制度はどうなる? 大宮法科大学院教授・萩原猛
どのような課題があるのか
しかし、国民が司法の運営に参加する以上、ある程度の負担はやむを得ない。裁判員の負担の軽減に神経質になり過ぎると、裁判員の裁判への関与を薄めてしまい、結局、裁判員は単なるお客さんになってしまうだろう。先の司法審意見書が、国民において「統治主体」として行動することを求め、「裁判内容の決定に主体的、実質的に関与すること」を要請した趣旨にも反することになる。 世界の国々では、国民の負担がありながらも、広く陪審制や参審制が行われている長い歴史がある。20年前、有名なアメリカの「O.J.シンプソン裁判」では、12人の陪審員達は、証人121人・物証857点に及んだ審理を、260日以上ホテルに隔離されながら、行っている。 また、我が国でも、昭和3年から同18年までの間、刑事事件の一部について陪審制度(但し、陪審の答申は裁判所を拘束しない)が実施されていた。当時、陪審員に選ばれるのは直接国税3円以上納税している30歳以上の男子だけであったが、裁判所構内に陪審員宿舎があり、そこに泊りこんで陪審員の職務を果たしていた。当時の国民に出来たことが、民主主義の成熟した時代に生きる現代人に出来ない筈はない。 現に、これまでの裁判員経験者のアンケート結果によれば、9割以上の人が「良い経験をした」と回答している。この回答は、裁判員を経験した人々が裁判員の職務を「やりがいのある仕事」であると認め、「裁判員自らの人生を豊かにするものであること」を実感したことを示しているだろう。 平成24年に「さいたま地裁」で審理され、100日裁判(裁判員が審理に参加したのは30日程度)と言われた「首都圏連続不審死事件」においても、裁判員は立派に職務を果たしている。
裁判員制度の健全な運営と発展の為には、法曹三者が訴訟運営において裁判員に無用の負担を与えないよう努力するのは当然ではあるが、裁判員の負担軽減の方策は、同時に、裁判員制度導入の趣旨を喪失させる危険性があることも知るべきである。 裁判員法には、各人の事情によって裁判員を辞退できる事由が、広く規定されており、真に裁判員の職務を遂行することが困難な人は裁判員となる義務を免除されることが可能である。これらの規定を活用すれば、長期審理事件を一律に裁判員裁判対象外とする必要性はないとも言える。 また、現在、裁判員の心理的負担を慮って凄惨な遺体写真等を証拠として提出することを自粛する運用が増えている。過度に感情をかき立てる証拠は、正確な事実認定を阻害するが故に証拠から排除すべきであるが、裁判員の心理的負担を理由に、本来証拠とする必要性があるものが提出されないということになれば、それは本末転倒であろう。 「裁判員の負担」に対する配慮も、行き過ぎると制度の趣旨を没却させることになる。裁判員制度のこれまでの経験は、我が国民が統治主体としての自律性を発揮し、相応の負担を引き受け得ることを明らかにしたのではなかろうか。国民を信頼する、という裁判員制度のそもそもの趣旨への配慮が求められよう。 --------------- 萩原猛(はぎわら たけし)弁護士・大宮法科大学院教授。刑事弁護中心に、各種損害賠償請求事件等の民事事件も手がける。著書に『刑事弁護の現代的課題』(第一法規・平成25年)共著、『ミランダの会と弁護活動』(現代人文社・1997年)共著、『陪審評議』(イクオリティ・1993年)共著、などがある。