短距離走のペースでマラソンを走らされるようなもの…「敏腕エージェント」の身勝手すぎる要求に振り回される「翻訳業界の闇」
スケジュールが無理難題
面談ではいろいろな話をしました。講談社さんも私も、まずは相手を知らないといけませんから。そして…… 「スケジュールなんですが……」 「来年3月に刊行という話ですよね?」 「いや、それが、クリスマス商戦にまにあわせたいのだそうで……」 「……となると、遅くとも11月末には刊行、でしょうか」 「はい、11月21日だそうです」 「後工程を考えると、9月いっぱいには訳しあげないといけませんね」 「そうなります」 「量は?」 「15万ワードの予定です。届くのは6月半ばです」 「………」 「できますか? できるとおっしゃるなら、いま、決めます」 「………」 できると即答したい。でも、やってみたらダメでした、まにあいませんでしたは許されない。必死で暗算をする。通常の2冊分、ふつうにやって7ヵ月のものを3ヵ月半、要するに倍速でできるか、だ。スティーブ・ジョブズやアップルに関する本はいままで何冊もやっていて手慣れている。であれば、平均して1日にできる最大量の2500ワードくらいはいけるだろう。 作業日が月20日(週休二日)で5万ワード/月、つまり3ヵ月で15万ワードを訳せることになる。著者の文体に慣れるまでスピードが上がらないことが多いがそのくらいのマージンはありそうだ。原稿が多少増えても、休みなしの月30日なら7.5万ワード/月とこの1.5倍くらいまではぎりぎりなんとかなる可能性がある。 短距離走のペースでマラソンを走りきろうというむちゃな話で、終わったらボロボロだろう。でもそれを覚悟すればできないことはない……はずだ。 「できます。やります」 「じゃあ、お願いします」 やった! 決まった! しかし、本当の試練はここからだった…。『原稿は「納期に来ない」かつ「機密書類」...「日本の一流翻訳家」がアメリカ側から受けた「酷過ぎる仕打ち」』へ続く
井口 耕二(翻訳者)