40代、驚くほど急に「中年が始まる」。元ファンドマネジャーがこれだけは伝えておきたい「大人の危機」とその回避(前)
パーティーとは、ライフサイクルそのもの。トリガーでどんどん変わる
僕は10代で上京、20代で就職、30代で転職、40代で親業、50代で独立、という流れで今まで生きてきました。だいたい10年で1つの業を終わらせていますね。 ライフサイクル、というのはそれぞれの人ごとに違って当然なのですが、転換点には外部的なものと内省的なものの二つがあります。外部的なものは自分では決められない事柄で、僕の場合は上京と転職がそれに当たります。 まず10代の話から順番に回顧します。中学高校時代、当時多くの高校生がしていたのと同様に、僕は部活にほとんどの時間を費やしました。 先生ごめんなさい、中高通して学校には弁当を持って部活しに行っていました。中学時代はチームが強かったこともあって練習はキツかったです。水を飲むな、先輩の練習中は球を拾え、頭は丸坊主。今の中学生からは想像できませんが、わずか40年前はそれが普通で、学校教師が兼任する部活のコーチからは鉄拳制裁もよくある風景。子供の鼓膜が破れても頭を下げるのは親、という時代でした。 高校はチームが弱くてコーチもいませんでしたが、やらされるのではなく自発的に行動する小数精鋭が集まったおかげで、チームの意味や役割分担を考えることができました。自発的な7時からの朝連、実力主義の選手選びなど、その後の人生に必要なものはすべて高校の部活から学んだような気がします。しかし残念ながら勉強がおろそかになって、大学受験は第一志望に合格できず、結果的に上京することになりました。 もう一つ、30代での転職も第一志望ではありませんでした。日系の資産運用会社にお世話になっていた僕は、証券アナリスト資格を取ってファンドマネジャーになりました。90年代は、世界的にみると冷戦構造が崩壊、国内でもバブルの崩壊が実体経済に残した傷跡が大きく、政治の世界が大きく動いた時期でもありました。政治経済に興味があった僕は、ある電機メーカーの創始者が始めたリーダー育成のための公益財団法人の門を叩きます。でも残念ながら扉は開かれませんでした。それで僕は外資系に転職したわけです。
ここまでの前編記事では、澤田さんがphaさんの書籍から感じ取った「自分のパーティの終わり」について語ってもらいました。続く【後編】では、こうした人生の「思わぬ変化」をどう捉えておけばよいのか。それはいったい、どのように訪れたのかをお話いただきます。
個人投資家・文筆家 澤田信之