元広商球児と脱サラ男性が故郷広島でボートレース初陣
広島県廿日市市のボートレース宮島で11月、ともに広島市出身の新人2人がデビューを飾った。野球少年だった上岡巧汰選手(22)と「脱サラ」した山本 凱立(かいり)選手(25)。2人は「早く初勝利を挙げたい」と意気込んでいる。(綾木佑我)
「恩返しする」
1メートル71、53キロの上岡選手は小学生で野球を始めた。プロを目指し、高校は名門の広島商へ。ここで「体格の壁」にぶち当たった。食事や筋力トレーニングに力を入れるも体は大きくならず。野球の道を諦めた。 兵庫県の大学に進学後、新たに目指したのが、ボートレーサーだった。父親に連れて行ってもらった競艇場で、迫力あるターンに魅了された。父親から「ボートレーサーは体重が軽い方が(スピードが出て)有利だぞ」と促され、闘志に火が付いた。学力や柔軟性、筋力などを測る養成所の入所試験に2度落ちるも、3度目で合格した。
養成所は朝6時起床で、スマートフォンは持ち込めない。スケジュールは10分刻みで管理され、1人でも遅れると連帯責任で全員が腕立て伏せをする環境だった。心の支えになったのが、ダウン症の弟、由弥さん(14)だ。小さい頃から仲が良く、プロ野球選手を目指したのも「お金を稼いで、由弥を支えたい」と考えていたから。ボートレーサーの平均年収は約1900万円で、「絶対に成功する」と歯を食いしばった。由弥さんも毎週、電話や手紙で「けがだけはしないで頑張ってね」と励ましてくれた。レースで着るウェアには「With Yuya」(由弥と共に)と刻まれており、「支えてくれた弟に恩返しする」と力を込める。
諦めきれず
1メートル65、54キロの山本選手は大学3年の時に友人に誘われてボートレース宮島を訪れ、「格好いい」と憧れた。視力が悪く、入所試験の応募資格を満たさなかったため一度は県内のポンプメーカーに就職したが、諦めきれず、レーシック手術を受けて視力を回復させた。勤務先を退職して試験に挑み、合格した。 2人は試験会場で出会い、ともに広島市出身ということですぐに打ち解けた。養成所でボートのレバー操作を習った時は自由時間に振り返りあい、一緒に学科試験の勉強もした。上岡選手は山本選手のことを「時間があればトレーニングルームでずっと走っている」と評し、山本選手も上岡選手について「四六時中ボートレースのことを考えていて、尊敬できる」と話す。 11月5日のデビュー戦。上岡選手は最下位に終わり、山本選手は途中で転覆し失格だった。「先輩たちについて行くのが精いっぱいだった」と上岡選手。曲折を経ながらようやく踏み出したプロの世界。ライバルとして互いに刺激し、高め合っていく。