【コラム】厳しくも優しい“キャプテン” 8大会連続五輪出場のU23日本代表を支えた藤田譲瑠チマが口にした感謝の言葉「自分の力だけではない」 | AFC U23アジアカップ
【サッカーU23日本代表 コラム】現地時間4月29日、U23日本代表はAFC U23アジアカップ2024準決勝でU23イラク代表に2-0で勝利し、8大会連続のオリンピック出場を決めた。 歓喜の瞬間が訪れた。 パリ五輪の出場権を懸けた、U23アジアカップ準決勝。立ち上がりからU23イラク代表を相手に攻勢を強めたU23日本代表は、前半28分にFW細谷真大のゴールで先制すると、同42分にはMF荒木遼太郎が追加点を奪ってリードを広げた。後半はチャンスを決め切れない時間が続いたが、相手の攻撃をチーム全員で凌ぎきって試合終了。決勝進出とともに8大会連続となる五輪出場が決まった。 この大一番、獅子奮迅の活躍でチームを支えたのがキャプテンのMF藤田譲瑠チマだった。 ここまでの4試合、チームの大黒柱である藤田は“結果”という面であと一歩の内容が続いていた。先発出場した初戦のU23中国代表戦、準々決勝のU23カタール代表戦では退場者が出たこともあり普段とは異なる状況でのプレーが求められると、U23韓国代表戦は途中出場したものの流れを変えられず。ゲームをコントロールする点においては見事だったが、結果に直結するようなプレーを見せることができていなかった。 一方で、「どんどん試合が来る方が、パフォーマンスが良くなるという考えがある。そこは積み重ねるにつれて良くなっていくかなと思います」と語るように、着実に手応えを掴んでいる感触もあった。うまく噛み合えば結果はついてくる。その時を待っていた。 迎えたU23イラク代表戦、4-3-3のアンカーポジションに入った藤田は、ピッチ上で抜群の存在感を放つ。相手のプレッシングが甘かったこともあり巧みにボールを引き出すと、自ら運ぶだけでなく、的確に前線へとパスを送りながらチャンスメイクを図っていく。28分には「寄せてこない割にラインが高い」と相手の隙を見つけ、細谷の動き出しに対して見事な浮き玉のパスからアシストを記録すると、42分にも「大きいスペースが真ん中にできたのが見えたのでうまく走り出せた」と荒木のゴールをアシスト。パリ五輪の出場が決まるかもしれない大事な一戦で、藤田は攻守に躍動して自身の存在価値をしっかりと証明して見せた。 「結果に直結するパスを出せたというのは、自分にとっても自信につながると思います。その他の場面でもゲームをコントロールできていたと思うので、こういったプレーをもっと続けていきたい」 このチームにおいて藤田の存在は非常に大きかった。パリ五輪世代のチームが発足してから常に主力を務めてきた男は、今大会でもチームをキャプテンとして牽引。大会期間中に選手間ミーティングを実施するきっかけを作るなど、ピッチにいてもベンチにいても、自分が先頭に立って声を出すことでチームの一体感を作り出していった。 また、準々決勝のU23カタール代表戦では、審判の行動や会話、表情を見て、GK小久保玲央ブライアンが抗議にいくとカードにつながるかもしれないと察知し、いち早くなだめる場面も。チームだけでなく、試合全体を見て状況判断する姿は、まさに“キャプテン”だった。 それでも藤田は「(チームがまとまったのは)自分の力だけではない」と言い切り、パリ五輪の出場権を獲得したチームメイトへの感謝を口にした。 「本当に副キャプテンがいろいろな提案をしてくれましたし、副キャプテンではない選手、ブライアンなどを含めて、チームが良い方向に向くために動いてくれた。そういった選手たちに感謝したい」 「(今日の試合でも)試合に出ている選手もそうですし、試合に出られなかった選手もベンチから大きな声を出してくれていました。ロッカールームでもいろいろな声が飛び交っていたので、本当に良いチームになったなと。本当にそういうことができる選手が多く出てきたというか、そういう選手になってきたというのが第一だと思います。本当にそういう声掛けをできる選手が、このチームには多くいるなとすごく感じています」 こういった言葉が出てくるのが藤田らしい。厳しさと優しさを持ったキャプテンがいたからこそチームはまとまった。チーム一丸となって掴み取ったパリへの切符。その中心に藤田の存在があったことは間違いない。 文・林遼平 埼玉県出身の1987年生まれ。東日本大震災を機に「あとで後悔するならやりたいことはやっておこう」と憧れだったロンドンへ語学留学。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることになった。帰国後、フリーランスに転身。サッカー専門新聞「エルゴラッソ」の番記者を経て、現在は様々な媒体で現場の今を伝えている。