江戸時代・対馬藩の飛び地田代領の副代官賀島兵介 佐賀県鳥栖市に今も伝わる善政
◆石碑前で今年も遺徳しのぶ
江戸時代に対馬藩の飛び地だった田代領(現在の佐賀県基山町と、鳥栖市の一部)で、田代代官所副代官として善政を敷き、領民に敬愛された賀島兵介(ひょうすけ)の遺徳をしのぶ「賀島祭」が9日、鳥栖市田代本町の太田山安生寺にある石碑前であった。 賀島は1675(延宝3)年に着任。離任するまでの約10年間、飢えに苦しむ領民に米を与えたり、領民とともに倹約に努めたりした。自然災害が多かった領内の治水工事なども進め、「田代領更生の恩人」と慕われたという。 賀島の死去から約100年後の1794(寛政6)年には、その善政を後世に伝えようと領民が石碑「憲副賀島君碑」を建立。今も毎年、賀島公顕彰会(会長・松田一也基山町長)が両市町と長崎県対馬市の関係者を招き、命日の4月9日に賀島祭を開いている。 この日は約30人の出席者を前に、松田町長が「地域の安心安全に努め、明るい町にすることが賀島公への最大の供養になる」とあいさつ。対馬市の比田勝尚喜市長は「こうした顕彰活動によって、賀島公の精神が後世に受け継がれ、みなさんとのつながりも深まる」と感謝した。 (杉野斗志彦)