エレベーターで医師や看護師がポロリ…「不適切な会話」を盗み聞きした“悪趣味”調査が暴露した実態とは?
「悪口」はどこまで許される? 「ここだけの話」のセーフ/アウトの境界線は? イトモス研究所所長の小倉健一氏が、身近な疑問を紐解く。 【画像】著者プロフィールを見る 私は東京の下町、錦糸町で育った。錦糸町は東京の他の地域から、ガラが悪いと思われているような気がしている。ライバルの街はどこかというと、たぶん、赤羽や蒲田といったところではないか。今でも錦糸町、赤羽、蒲田によく出かけるが、何か街の雰囲気が似ている。 言葉づかいも、本音がむき出しにされるというか、荒っぽい人も多い。よく東京人が関西へ行くと、関西弁になってしまうと聞く。私は5年ほど関西にいたのだが、一切そんなことはなく、むしろ私の周りが東京の言葉を使うようになっていた。東京の下町の言葉は、関西弁よりもアクが強いのだろうか。 酔っ払うと「クソ」とか「くたばれ」といった言葉が口をついて出てしまう人も多い。私も気づくと罵詈雑言が止まらなくなる。そんな私であるが、最近、「クソ」という言葉に関連する面白い裁判のニュースを目にした。
● 「クソ」に寛容な判決 2019年12月19日、れいわ新選組共同代表の大石晃子衆院議員が、ジャーナリストの山口敬之氏に対して「クソ野郎」とXに投稿したことが名誉毀損に当たるのかが争点の裁判だ。 報道によると、東京高裁(相沢真木裁判長)は3月13日の判決公判で、次のように結論づけた。 《判決では「クソ」という言葉が直ちに人糞を意味するとは解されず「クソじじい」や「クソまじめ」、「クソ忙しい」などとののしりや強調の意味で用いられるとして「『クソ野郎』という表現は、いさささか品性に欠けるきらいがあるものの、他人に対する最大限の侮蔑表現であるのかは、疑問を差しはさまざるを得ない」とした》 《さらに「『クソ野郎』との表現部分を含む記載部分については公共性及び公益目的が認められ、前提となる事実について真実であることの証明があり、意見ないし論評としての域を逸脱したとはいえないことにも照らすと、『クソ野郎』との表現が社会通念上許される限度を超える侮辱行為に当たるまでとはいえない」とした》(3月13日、よろず~ニュース)。 ずいぶん「クソ」という表現に対して寛容な判決が出たものである。 日常生活の中で、私たちは友人や同僚と話しているときに、ただの悪口だけでなく、時には他人の秘密を話すこともある。例えば、「あの二人、付き合ってるらしいよ」とか「あの課長、いつも上司におべっかを使ってるよね」といったことが、あちこちで話されている。ひょっとすると、「私はそんなことを話していない、証拠を見せて」と反論する人もいるかもしれない。