レスリング全国8強からグラドルへ…Iカップの歴代最強“ミスヤングマガジン”山岡雅弥の半生
コロナ禍が人生の転機に
──それだけ前向きに頑張っていた最中にコロナ禍だとモチベーションも落ちますよね。 山岡 底まで落ちましたね(笑)。レスリングは相手に触るから、練習自体がなくなってしまたんですよ。もちろん大会も開催できないから、やりたくてもやれない状況。学校も休校になったから、とにかく暇で、何もやることがなくて結構病んじゃったんです。しょうがないからママと家のリノベーションを始めて、「やっぱり体を動かすのはいいね!」と再確認したりして。 ──コロナ禍とはいえ、リノベーションというのもすごいですね。 山岡 ママが何でも自分で作るのが好きな人なんですよね。私が小学6年生のときにも福岡で古い家を買って、知り合いの大工さんと一緒にリノベーションをしたりしていて。それを間近で見て楽しそうだなと思っていたので、今回実際に自分でやってみてすごく面白かったです。なので、私も解体やエアコン改修のバイトをしてリノベーションの経験を活かしています。 ──コロナ禍の前から芸能に興味はあったんですか? 山岡 小さい頃から人を笑わせるのが大好きで、芸人さんになりたいと思っていたこともありましたけど、子どもだったので本気で考えていた訳ではありません。 ──目立つのは好きなほうでしたか? 山岡 むしろ嫌でした。レスリングの大会で結果を出したときも、全校集会で表彰されるのが無理で、先生に頼み込んで断っていたくらい。試合だと周りが見えなくなるというか、何も音が聞こえなくなって、相手しか見えなくなるから、すーっと試合に入り込むことができるので大丈夫なんですけど、人前に出ると頭が真っ白になっちゃうんですよ。 幼稚園のときに人前に出なきゃいけないことがあって、頭が真っ白になってぶっ倒れたこともあります(笑)。基本的に人見知りですし、注目されるのも苦手でした。 ──そんな中で芸能界に入ることになるんですね。 山岡 コロナ禍でレスリングの練習もできなくなって、レスリング以外でやりたいことを考えたとき、漠然と芸能っていろんなことに挑戦できるから面白そうと思ったんです。そのタイミングでたまたまスカウトを受けて、事務所に入る決心をしました。 (取材・文/猪口貴裕)
猪口 貴裕