水底に眠る戦前の集落跡現る 渇水の倉敷ダムに「ウヮーフール」 沖縄・うるま
沖縄市、うるま市にまたがる県管理の倉敷ダムの渇水により、湖底から昔の倉敷集落のウヮーフール(豚小屋)の遺構が姿を現した。水不足を機に、かつて営まれた暮らしの面影が湖底から思わず顔を出した。 【写真】湖底から現れたウヮーフール(豚小屋)の遺構
ダム構内の自然ふれあい広場近くに現れたウヮーフールは、一部に独特のアーチ状の造形が見てとれる。 倉敷ダムの貯水率は昨年8月の94.7%を直近のピークに、9月以降の少雨の影響で下がり続けており、4月10日午前0時時点で46.2%。県内の全11ダムの平均54.1%を下回る。ダム管理所の島尻聡主幹は「まだまだ水不足は厳しいので、引き続き節水に協力してほしい」と呼びかける。 倉敷地区は1894年ごろ、困窮した首里や那覇の旧士族らが入植した「屋取(ヤードゥイ)」集落と言われる。困難だった原野の開墾を経て、緑豊かでかやぶき屋根の家が点在する農村となった。 61年に米国民政府が利水専用に瑞慶山ダムを建設して、倉敷集落は水底に消えた。軍用地の返還後、瑞慶山ダムから置き換わった倉敷ダムが96年に完成。昔の集落の様子は、ダム管理所に模型として残されている。 (石井恭子)
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