待望の「M-1」審査員就任、オードリー・若林正恭の芸人としてのカリスマ性
若林はもっと早く評価する側に回るべきだった
こうしたメディアでの活躍はすでに10年以上にわたって継続され、「覇者」の一人である若林の評価を聞きたい若手芸人は少なくないはず。実際、『あちこちオードリー』にサンドウィッチマンが出演した際、伊達みきおは「若林くんに面白いと思われたい人は多いと思う」と太鼓判を押すともとれる言葉を残していた。 伊達がそう評したのもオードリーが漫才の歴史をひとつ作ったと考えているからではないだろうか。“ズレ漫才”は「春日に当て書きしたもの」と若林は評すが、ツッコミにツッコむという構造は新しく、後の漫才師たちにも影響を与えた。 M-1グランプリは漫才の頂点を決める大会であると同時に、新しい漫才の形をお披露目する見本市でもある。様々なフォーマットが生まれてきたが、決勝で結果も残しているとなるとそれほど多くは挙げられない。近年では霜降り明星やミルクボーイなどが後に語り継がれる強力なフォーマットを作ったが、それを2008年時点で成し遂げている若林はもっと早く評価する側に回るべきだったとさえ思える。 また、審査員に求められる指標になりがちな“現役感”も満たしている。オードリーは定期的にネタライブを開催しているし、前述の東京ドームライブのラストで漫才を披露して合計16万人を沸かせたのも記憶に新しい。 ただ、若林自身はオードリーのネタだけを突き詰めてきたゆえに「審査員をやる立場にない」と考えていた節がある。最も素に近い場であるラジオでもどのコンビが面白かったと言うことはあっても、漫才自体を“評価”することは稀だった。だからこそ、若林の審査員就任は大きな衝撃がある。 もしかするとここ数年もしくは数か月で心境に変化があったのかもしれないし、M-1で人生が変わった人間としての責任を感じたのかもしれない。どのような経緯があったにせよ、漫才ととことん向き合い、テレビで活躍し、MCとしても芸人の扱い方を知る彼ほど審査員に適切な人材はいないはずで、今回の決断には敬意を表したい。 若林は当日、どのような採点を下し、論評を繰り広げるのか。漫才の新たな歴史を作った男が何を語るのか、刮目したいところだ。
まっつ