（イラスト＝モリナガ・ヨウ）

　本連載は、時折編集Y氏から「このネタやってください！」と指令が飛んでくることがある。基本的に私が疎い時事ネタに、Y氏がぴぴっと反応した結果だ。個人的に「サンダーバード5号からのジョンの通信」と呼んでいる。 　今週もジョン・トレーシーことY氏から日曜日の朝に電話がかかってきた。「松浦さん、もう知ってますよね。ドナルド・トランプ氏が狙撃されました。ものすごい写真が出回ってます」 　もちろん私は知っていた。が、「今週はこのネタでいきましょう！」と畳みかけてくるY氏に対して、「あー……」と気のない返事をするしかなかった。 　というのも、こういう事態は、いつ起きてもおかしくはないなと思っていたからである。あまり驚きはなかったし、弾丸が当たらず犯人は射殺されたという結果についても、「おそらくそうなるだろう」と事前に考えていた。 　「事前に予想していたと言うなら、すごいじゃないですか。そのことを書きましょう。どうやって予想したんですか！」 　「なに、簡単な推理だよ。ワトソン君」（と、ジョンがワトソンにすり替わる） 　出発点は以前も書いたことがある「自然はすべてを準備する」だ。人間もまたしかり。社会は信じられないぐらい高潔な人、まともな人から、これまた信じられないぐらい悪辣な人、狂った人までで構成される。だから、アメリカ合衆国（以下アメリカ）には常に「大統領候補を殺してやる」と考える人が存在する。暗殺というと、なにか政治的意志が働いて、プロが雇われ、と思われがちだが、実際には「規格外の人間が見当外れの殺意を抱く」という場合がほとんどであろう。 　が、「考える」と「実行する」は別であって、たいていは「殺す！」と妄想をたぎらせて、そこで終わる。考えると実行するの間には、大きな隔たりがあるわけだ。ところが、アメリカ社会の場合、その隔たりを縮める要素が存在する。緩い銃規制だ。他の国よりも、殺害の道具が簡単に手に入るわけだ。 ●スイスチーズに空いた穴 　後は単純な、事故に関する「スイスチーズモデル」だ。穴の開いたスイスチーズを何枚も重ねていった場合、たまに1つの穴が一番上から一番下まで貫通することがある、という例えである。事故は、複数の事柄が連鎖する（＝チーズの穴の部分が下までつながる）ことで発生する、ということのモデル化だ。 　たまたま「殺してやる」という想念に取りつかれた者がいる。たまたまその者は銃のような道具を調達できる立場にあった。たまたま大統領候補がその者の住む場所に遊説にやってくる。たまたま、遊説場所のすぐ近くに狙撃可能な場所があった。たまたま警備側がその場所をチェックしていなかった――以下「たまたま」がいくつも連鎖して、最終的に弾丸が発射される。 　が、たいていは失敗する。最後のチーズの穴は撃つ者が銃の扱いに習熟しているということだ。アメリカの場合、軍隊で長距離射撃専門の訓練を受けた者が民間にもいる。とはいえ、そういう人物が殺意を抱くということは確率的にはまれである。きちんと銃を扱う訓練を受けた手練れの人材は、むしろ警護の側に集められる。 　過去の例を調べると、歴代大統領45人中、在任中に暗殺された者はエイブラハム・リンカーン（1865年）から、ジョン・F・ケネディ（1963年）まで4人。暗殺された大統領候補は1人（ロバート・ケネディ：1968年）。暗殺未遂は調べきれなかったが、軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏によると11名。その中には、重傷を負った例（ロナルド・レーガン：1981年）もある。 　つまり今回の選挙戦でも、ドナルド・トランプ、ジョー・バイデン両候補が命を狙われる可能性はそれなりにあった。 　しかも、2010年代半ば以降のアメリカ社会は、個々のスイスチーズの穴を広げてしまうような、慢性的な危機的状況にある。陰謀論の台頭である。 　陰謀論とは一言で言えば、枯れ尾花を幽霊だと騒ぎ立てることだ。だいたいにおいてこの社会で起きる出来事は偶然であり確率的だが、陰謀論にハマると偶然の事柄の後ろに誰かの意図を見てしまう。 　人間は、「原因と結果」という因果で物事を理解するような認知の構造をしているので、偶然を偶然として受け入れるのがなかなか難しい。自分の生存に関わるような深刻な事態であればあるほど、「きっと裏に誰かがいて事態を操っているに違いない」と思い込んでしまいがちだ。