前科者より厳しい中高年の高学歴難民の就労事情「プライドが高く、相手のミスを過剰に責めるうえに、肉体労働はできない」
何のために学ぶのか
「どうして高校に行くの?」 真顔でそう尋ねる先生に、私は変なことを聞く人だと首を傾げました。理由はただひとつ、皆が行くからです。さすがに、高校受験をしないという人は周りにいませんでした。 「皆と同じでいいの?」 そう詰め寄られても……、私は返す言葉もありませんでした。 私は小学生の頃から、文章を書くことが一番好きでした。表彰されることも多く、夏休みに入ると、今年はどんなテーマで書こうか、本は何を読もうか、いつもワクワクしながら「研究ノート」を作成していました。この作業は、現在でも続いています。 私の両親はふたりとも大学を出て、仕事を持っていました。祖母も教師をしており、当時の女性としては珍しく大卒でした。私も当然、どこかの大学は卒業して働くのだと漠然と考えていました。 家族は皆、読書家で家にはたくさんの本がありましたが、学校の成績にうるさい家族ではありませんでした。家族からプレッシャーをかけられるようなことはなく、同世代の男の子たちが少しでもいい大学を出ていい会社に入ろうと、死に物狂いで受験勉強を戦っている一方、私は競争には無関心でした。 先生と出会ったことで、私には義務としての教育以外に、学ぶ意味が生まれました。何のために学ぶのか──。それは先生のように、他者に気づきを与える人になりたいと思ったからです。まずは、先生とそつなくコミュニケーションが取れるように、私はさまざまな新聞を読み、先生の好きな岩波文庫を読み漁るようになりました。その甲斐あって作文は上達し、洞察力や文章センスを先生から褒めてもらえるようになりましたが、学校の勉強とは直接関係がないので、学校の成績は下がっていきました……。 社会活動に取り組むベースとなる経験を積んだのもこの時期です。先生は、私にいろいろな分野の社会活動家や専門家から話を聞く機会を作ってくれました。私は彼らの経歴や行動力に「凄い」としか反応できませんでしたが、 「凄いように見えて無難なことをしてるだけ」 と評価はいつも辛口で、既存のあらゆる団体、専門家を辛辣に批判していました。 「支援の網の目からこぼれる人々の支援」は私の生涯の課題となりますが、救済を求めていたのは先生自身だったということに気がつくのは、何年も後になります。 写真/shutterstock ---------- 阿部恭子(あべ きょうこ) NPO法人World Open Heart理事長。東北大学大学院法学研究科博士課程前期修了(法学修士)。2008年大学院在学中、日本で初めて犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。今まで支援してきた加害者家族は2000件以上に及ぶ。著書に『息子が人を殺しました』『家族という呪い』『家族間殺人』(いずれも幻冬舎)、『加害者家族を支援する』(岩波書店)、『家族が誰かを殺しても』(イースト・プレス)など。 ----------