ロシア辺境を父と娘が漂流する「グレース」、本編映像と著名人コメント第2弾公開
ロシア辺境を舞台に、移動映画館で日銭を稼ぐ父と思春期の娘による旅の日々を描き、2023年カンヌ国際映画祭監督週間に出品されたイリヤ・ポヴォロツキー監督作「グレース」が、10月19日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開される。娘がショッピングセンターで未知の世界に触れていくシーンの映像と、著名人のコメント第2弾が到着した。 「グレース」本編映像
〈コメント〉
暴力、怒りの波紋が音楽となって赤い車に引きづられている。親子にとって旅は仕事であり、漂流することは日常である。杭を打つようにポラロイドカメラで今を記録する彼女の眼差し。誰もが少年少女の時感じていた引き伸ばされた時間に身を置く119分。 ──甫木元空(映画監督・ミュージシャン) 果てしない広野に感じるのは自由ではない。退屈と侘しさは喉を詰まらせ、次第に沈黙と化してゆく。私も、名前も知らない彼らと同じようにどこかに行きたいと願っていたのだろう。約2時間、鼻の奥を刺す寒さと、夜明けのにおいを憶えた。 ──中島セナ(モデル・俳優) 『ミツバチのささやき』を観た時、流浪の映写技師の人生に触れたくなった。そしてコーカサスで出会った。しかしそこには、どこへでも行けそうでどこにも行けない者の肖像が茫と浮かび上がり、切なさが心を掠めたのであった。 ──che bunbun(映画ライター) 親子二人の暮らすバンは、周囲に広がる荒野や寂れた建物と同じ、二人だけの“廃墟”である。“廃墟”から逃れようともがく者も、そこに留まることを選ぶ者も登場し、二人は彼らを前に迷い続ける。映画はそんな二人の選択をそっと包み込む。 ──Knights of Odessa(東欧映画愛好家) 旅するふたりを迎えるのは、かつて見たことのない風景の数々と、さまざまな言語を話す人々。都市とは種類が違う、とはいえ同じ社会機構のもとにある憂鬱。それは人類文明のはかなさと、それでもそこで生活を営む命の両方を際立たせる。自分はロシアとその周辺のことをいかに知らないか痛感させられた。 ──野中モモ(翻訳者・ライター) コーカサスの終わりのない風景を進む赤い車。今年も夏は来ない。海はあまりにも遠すぎる。父と娘にとって移動映画館は稼ぎの手段でしかない。少女は夢の跡の世界で最後のステップを踏む。この傑作には私たちが映画を見る理由がある! ──宮代大嗣(映画批評) この映画を見ながら、アニエス・ヴァルダの『冬の旅』を思い出した。粒子の粗い画面にはどこまでも続く荒れ果てた土地が映り、その土地土地を旅する若い女がいる。彼女はたいてい仏頂面で、くすんだ画面に、染みのようにじっとしがみついている。 ──月永理絵(ライター・編集者) 「グレース」 配給:TWENTY FIRST CITY 配給協力:クレプスキュール フィルム