愛媛ご当地スーパーの世界 鹿野川主婦の店(大洲市)の巻 豪雨災害から6年 揺るがぬ手作りの味
大規模な県外チェーンとはひと味違い、個性が光る愛媛のご当地スーパーを再び紹介します。 人口減少が急速に進む地域では、食料品や日用品を扱う小売店の閉店・廃業が相次いでいます。一方で、地域のために踏ん張って営業を続けている店もあります。大洲市の山あいで、西日本豪雨の被災を乗り越え、復活したスーパーを訪ねました。 ■道の駅に併設 大洲市肱川町の国道197号沿いに、目指す「鹿野川主婦の店」はあります。「道の駅・清流の里ひじかわ」の一角で、どこか懐かしい存在感を放っています。この店は、2001年、道の駅開設とともに、約1・2キロ離れた鹿野川地区の中心部から移転してきました。 「当時の肱川町が道の駅をつくることになって、核になる施設が必要じゃと、それで地元の業者が何店舗か入りました」と主婦の店の二宮秀一代表取締役(74)は振り返ります。 約165平方メートルの店内は野菜、肉、魚、お菓子、調味料、日用品、惣菜など、コンパクトながら生活必需品がそろっています。全国の中小小売店が共同仕入れなどを行う全日食チェーンにも加盟しており「(全日食の)会員になればヨーグルトやウインナー、納豆など大手スーパーより安いものもあるんよ」と二宮さん。 ■県内スーパーの草分け 店の前身は、昭和初期に祖父の眞実(まさね)さんが創業した木炭などを販売する二宮商店です。昭和30年代には屋号を「鹿野川主婦の店」として、食料品などを扱うようになりました。 県内では1957(昭和32)年、四国初のスーパー「主婦の店 松山本店」が松山市の大街道に誕生。翌年、県内同業者が集まり、仕入れなどで協力する愛媛スーパーチェーンが発足しました。二宮さんが「うちの店は、愛媛スーパーチェーンが出来た最初に仲間入りした」と胸を張る通り、県内スーパーの草分けだったことがうかがえます。 ■豪雨災害 逃げ惑う 約70年続く歴史の中で最大の危機に見舞われたのが、2018年7月7日朝のこと。西日本豪雨です。 鹿野川ダム直下にある道の駅は、大雨に伴う緊急放流で肱川が氾濫し、濁流に襲われました。 「ものの10分よ。さっきまで大したことないと思っていたら、わーっと突然、茶色い水が増えてきた」 二宮さんが店の裏口から飛び出した時、膝あたりだった水位は瞬く間に上昇しました。室外機から雨といを伝い、必死で店の屋根によじ登った時には、水は屋根のすぐ下まで来ていました。 設備も商品も全滅。ダメになった栄養ドリンク100ケースを眺めながら、二宮さんは途方に暮れたといいます。 ■絶望から踏み出す しかし、頼もしい助っ人があらわれます。被災以降は、加盟している全日食チェーン本部の職員十数人が毎日、徳島などから応援に駆けつけてくれ、片付けと復旧が進みました。 「大量のビンやらゴミやらヘドロやら、私らだけでは(処理は)とても出来ん。みなさんの力が本当にありがたかった」 「(身近に)食べ物も飲み物も何もないのは、なんと不便なことだろうと身にしみた」 このとき抱いた思いが、その後も店を続ける原動力になったと二宮さんはしみじみ語ります。
愛媛新聞社