”家族のため”に「死に方」を選ぶ…死を前にした高齢者が頭の中で考えていること
2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。 【漫画】くも膜下出血で倒れた夫を介護しながら高齢義母と同居する50代女性のリアル 介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務める筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(髙口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。 『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第13回 『最悪の場合、『家庭崩壊』…メディアや厚生労働省が推奨する『在宅介護』の絶望的な現実』より続く
「自分のため」より「家族のため」
親を施設に入れることや、その結果施設で亡くなられることに対して罪悪感をもつ人が少なくない背景には、在宅ケアを礼賛する声がとても強いことに影響されている面があります。 けれど何が良くて何が悪いという問題ではありません。人それぞれに個別の事情を抱えながら、迷い、葛藤した末の選択なら、それがその家族にとっては最善の選択なのです。 「自宅で看取るのは無理だけど、慣れ親しんだ環境と気心の知れた人たちに囲まれて最期を迎えさせたい」ということなら施設でのターミナルケアを選ぶのもいいし、施設で死なせることへの罪悪感がどうしても拭えず、後悔となってしまいそうな場合には、病院をおすすめします。医療という大義名分の下に亡くなったほうが、家族は精神的に楽になれるでしょう。
「良いか悪いか」で語れない介護で心がけるべきこと
そして何より、お年寄り本人の気持ちが、もっとも重要です。 元気でまだ自分が死ぬという実感がほとんどないときは、多くの人が「慣れ親しんだわが家で、最後まで過ごしたい」と、思われるでしょう。しかしその後、いよいよ体が弱ってきたときには、「家で過ごしたい」という思いと「家族に迷惑をかけたくない」という思いが行き交います。 私が出会ったお年寄りの多くは、自分の最後の過ごし方を「自分のために」決めるのではなく、「家族のために」どうするのがいいかを考えて決めているように感じます。家族のためにということが、自分の判断の最たる事項になることが「良いか悪いか」の問題ではなく、それがその人の「生き方」だと、私たちはとらえるようにしています。 年をとるほど、人は自分の生き方を振り返ることが増えてくるでしょう。老いの日々は、自分の生き方を自分で確認する日々です。自分の生き方を自分で受け入れられない人は、本当につらそうに見えます。 ですから、家族のために「死に方」を選んだその人の「生き方」を、私たちは支援したいと思います。 介護職とは、介護を通じてその人の「生き方」を支えることが仕事ですから。 『「“基準”に合致したら、一切の医療的行為を停止します」…“先進的”介護施設が設定した『死のライン』』へ続く
髙口 光子(理学療法士・介護支援専門員・介護福祉士・現:介護アドバイザー/「元気がでる介護研究所」代表)