阪神・岡田監督が今も忘れない名将・仰木彬との約束「仰木さんから声が掛からなかったら、指導者にはなっていなかった」
普通にやるだけやんか オリを破った虎#2
阪神タイガースを38年ぶりの日本一に導いた岡田彰布。 【画像】当時27歳でタイガースを牽引した1985年の日本一
仕事にも人生にも効く岡田語録を収録した新著『普通にやるだけやんか オリを破った虎』(Gkken)より名将・仰木彬監督との約束を一部抜粋、再構成してお届けする。
仰木さんとの約束
08年みたいに、シーズンの後半になってきてチームが上にいればいるほど、劇的な勝ち方をすると、それはそれでまた不安にはなるんやけどな。9月に3試合連続サヨナラ勝ちというのがあったけど、自分ではずっとなんかおかしいなと感じてた。 それがまあ、監督として責任を取らなあかんと、ユニホームを脱ぐことにつながっていった。そこまでの29年間、プロでやってきて、選手で16年、コーチと監督で13年、ユニホームを脱がんかったのは、仰木さんとの約束よ。 オリックスの現役最後の年、95年かな。「がんばろう神戸」で優勝した。そのときはもう自分でも辞めようと思っていた。最後の2カ月くらいは、仰木さんに言われて、二軍に行った。 「試合で若いヤツを使いたい。二軍で若いヤツを見たってくれ。これからはコーチとして、力を貸してほしい」 と言われた。納得して二軍に行った。もう自分の調整ではなくて、コーチのようなことをした。仰木さんなりに、最後の花道を作ってくれたと思っている。仰木さんから声が掛からなかったら、指導者にはなっていなかった。 やっぱりこの世界に入ったのは、最初はあこがれからやろね。今みたいにメジャーとか、そんなことは現実にはなかった時代やから。プロ野球というのが、野球をやっている以上は最高の、あこがれの世界やった。 阪神に入ったときは、目標を達成したなと感じたけど、次の瞬間には、大変なとこに入ったなというのが正直な気持ちやった。小さいころから野球やってて、ずっとレギュラーやったけど、阪神に入って、初めてレベルの違いを感じた。 でもこの道でしか生きていけない。ほかのことは何もできんしなあ。それからは毎年毎年の積み重ねやった。