天下の「荒くれ者」から国の「救世主」となった藤原隆家
5月12日(日)放送の『光る君へ』第19回「放たれた矢」では、右大臣となった藤原道長(ふじわらのみちなが/柄本佑)が政治家として邁進する様子が描かれた。一方、まひろ(のちの紫式部/むらさきしきぶ/吉高由里子)は一条天皇(塩野瑛久)に謁見することが叶い、自らの夢を語ることとなった。 ■藤原道長と藤原伊周の対立が鮮明に 公卿のトップである右大臣に任じられた藤原道長の主導のもと、陣定が行なわれた。民から申し入れのあった租税の免除を認める一条天皇の意向について、多くの者が賛成を表明するなか、藤原伊周(これちか/三浦翔平)は一人、反対を訴える。しかし、覆ることはなく、この日以来、道長の取り仕切る政治に反発する伊周と藤原隆家(たかいえ/竜星涼)の兄弟は参内しなくなった。 一方、まひろのもとに清少納言(せいしょうなごん/ファーストサマーウイカ)が訪れ、宮中の様子を語った。その様子を聞いて、まひろが宋の国のように身分差を超えて人々を登用する制度を取り入れることが夢だと語ると、清少納言は自身の仕えている中宮・藤原定子(高畑充希)にまひろを引き合わせた。 偶然にも居合わせた一条天皇は、まひろの夢にいたく共感する。一条天皇がまひろの才覚を認めたことを知った道長は、数々届けられていた申文のなかにまひろの父・藤原為時(ためとき/岸谷五朗)のものを見つけ、国司となる資格を得られる従五位下の叙爵に推挙した。10年も官職に就けなかった為時にとって、思いがけない昇進だった。 一方、伊周はたびたび忍んでいた藤原光子(みつこ/竹内夢)の邸宅の前に、立派な牛車が止まっているのを見て驚愕した。心を許していた女性のまさかの裏切りに涙ぐむ兄を見て、隆家は相手の男を懲らしめてやろうと矢を射掛けた。 脅しで放った矢は誰も傷つけることはなかった。ところが、矢の向かった先にいたのは、ただの貴族ではなく、花山(かざん)法皇(本郷奏多)だった。伊周も隆家も、まだ自らがしでかした行ないの大きさに気づいていなかった。 ■褒賞も昇進もなかった国の功労者 藤原隆家は、関白を務めた藤原道隆(みちたか)の子として979(天元2)年に生まれた。母は高階成忠(たかしななりただ)の娘である高階貴子(きし/たかこ)。同じ母を持つ兄に内大臣を務めた藤原伊周、姉に一条天皇の皇后となった藤原定子がいる。 989(永祚元)年に従五位下となって以降、昇進を重ねた。その背景には、986(寛和2)年に祖父・藤原兼家(かねいえ)が摂政に就任し、それに伴い、父・道隆も華々しい出世を遂げたことがある。994(正暦5)年に従三位参議、翌995(長徳元)年には権中納言になるなど、わずか17歳で政治の中枢に加わることとなった。