利き腕を骨折した専業ライターが片手用キーボード『Froggy』で苦境をしのいだ話
これはキーボードを筆頭とするインターフェイスが大好きなフリーライターの白石が、昨年10月に利き腕を骨折、そこから片手用キーボード『Froggy』により10000字を書いて、骨折中の期間をどうにかしのいだ10月の記録です。本当に助かったので、片手でキーボードを打つすべての人にこのキーボードを広めたい……! 【画像】キートップのカエルがカワイイ 左手のみで使う『Froggy』 ■自己紹介と悲劇の日 改めて、フリーライターの白石です。RealSoundでは主にテクノロジーやライブ・エンターテインメントにまつわるコラムやインタビューを執筆しています。演劇学科を出てからパソコン専門誌の編集者としてキャリアを始めた経歴もあって、ライターとしてはメディア・アートや舞台芸術、音楽ライブのレポート、MacやiPhoneなどのApple製品にまつわる記事などを書くことが多いです。 そんな私が寝ぼけたまま家の近くですっ転んだのは、10月中旬のこと。雨の振り始めた昼過ぎにスロープへ足を乗せ、そのままつるっと滑って前方に倒れ、全身を強打。体中が痛むので午後の予定をすべてキャンセルして家でふて寝し、翌朝起きてもまだ痛い。 整形外科でレントゲンを取ったら「左腕の肘にヒビ(医学的にはヒビも骨折の一種らしい)が入っている」と言われ、あれよあれよとギプスで固定→三角巾で吊り下げる、という処置をされました。ギプスを外すのは最短で一ヶ月後とのこと。 「職業は?」「ライターです」「利き腕は?」「左です」「致命的ですね~」という会話を経て医師と別れ、外にほっぽりだされたときに思ったのは「風呂に入っておけばよかった」でした。 そんなわけで「予想していないタイミングでいきなり利き腕が使用不能になる」というイベントが発生し、困ったのは生活に関わるあらゆること。左利きにも「ボール投げるのは右」だったり「ペンは左、箸は右」というような一部の作業で右手を使えるような人が結構いるんですが、僕は「全左」の左利きなので、病院の前で途方に暮れました。 カメラが使えないのでイベント取材も出来ません。その時点で抱えていた原稿は3件ほどあり、インタビューとコラムを30000字ぐらい構成・執筆しなければいけないことは確定、ひとまずほうぼうの編集部に連絡を取り、〆切に余裕を頂いたりと対応していただきました。その節は大変ありがとうございました……。 ■生活はともかく文字が書けない 3日も生活していると「できること」と「できないこと」がわかり、さらに「できないこと」にもいくつかの種類があることがわかりました。具体的には「利き腕じゃないとできないこと」と「両腕じゃないとできないこと」。 ある程度「できないこと」を減らしていきたい、とはいえ全治一ヶ月という期間に対して学習コストが高すぎる作業、たとえば「箸を使う」などはそれに該当しますが、こういう作業は「できないこと」として、別の方法を見つけることで乗り切っていきました。特に中盤で「トングでご飯を食べる」という技を見つけ、フォークでは全然食べられなかったきんぴらをサクサク食べられて感動したのは印象深い出来事です。 生活の動作はともかくとして、ライターなので文字を書かなければいけません。一般的なQWERTYキーボードを片腕で叩くのはかなり厳しく、ショートカットの入力も絶望的でした(左手の使えない状態で“コピー&ペースト”をするのはほぼ無理です)さらに非・利き腕で叩くのは非常に疲れます。また、画面とキーを交互に見なければいけないのも大変で現実的ではなさそう。 次に取り組んだのは「音声認識」と「iPhoneのフリック入力」でしたが、これらはいずれもうまくいきませんでした。というのも、「頭の中で文章がまとまらない」。言葉にしづらいのですが、テキストエディタに文字を打っていく感覚、ローマ字でタイプして変換していくという行動が、文章を書く際の「考えごと」と相互に反応するテンポを持っており、この片方が失われるとちっとも頭の中に文章が浮かばない。 iPhoneで入力しても音声認識を使っても文章がとっちらかってしまい、自分の満足する精度で原稿を作ることができませんでした。そのため「片手でローマ字を入力する」「コンピュータを片手で制御する」ということがどうしても必要に。 ここで思い出したのが以前入手した片手キーボード『Froggy』。ハードウェアに左右分離型キーボード『Helix』の片側基盤を使用、専用ファームウェアを書き込むことで片手用キーボードとして使うデバイスで、『Helix』本体・専用キーキャップはいずれも自作キーボード専門店「遊舎工房」で販売しています。コンピュータのインターフェイス、特にキーボードが好きなので「変わり種のキーボード」として趣味で購入していたのです。 このキーボードのアルファベットは黒字と赤字で書かれており、赤字で書かれたキーを入力するには下部の赤いキーを押しながら赤字のキーを押せば入力できるという仕組み。このようにひとつのキーが複数のレイヤーを持っており、下部の赤・黄色・緑の3つのレイヤーキーを押してキーを押すことでレイヤーを打ち分けるという入力方式になっています。 「これの右手用があれば、コンピュータを自在に制御できる!」と思ったものの、当時の自分にはキーのはんだ付けが不可能、というか不器用なので、利き腕でもキーボードのはんだ付けはおそらくムリ。遊舎工房にははんだ付けの代行サービスがあるけれど、制作日数を考えるとこれも頼むのは難しそう。 諦めかけて妻にその旨を話すと、「私が作ろうか?」とのこと。「ダメでもともとだし、ちょっとはんだ付けしてみたい」ということで、骨折1週間後にはんだ付けキットと「Froggy」が届きました。 以前より自作キーボードのはんだ付けは難易度が高いと聞いていて、実際に工程を見ていると、30点以上の接点に2mmぐらいのダイオードをちまちまちまちま着けていく作業で、自分には絶対ムリでした。 人のレポートを読む限りでもファームウェアを書き込んでから「このキーが反応しない」「っていうか全キー無反応」というようなトラブルにぶつかるのは当たり前のようで、「ファームウェアを書き込んでから不具合の切り分けが大変そうだな~」と思っていました……が! はんだ付け後Macに接続したところ全部のキーが問題なく認識され、ファームウェアの書き込みも正常に終了。なんと妻がすべてのハンダ付けをノーミスでクリアし、右手用「Froggy」を使えることに! ■配列の学習は意外と簡単、ショートカットも割り当て可能 いきなりまったく異なる配列のキーボードを使うわけですから、習得の難しさも覚悟して導入したのですが、実際にはかなり早い段階でブラインドタッチが可能になり、使用開始後3日目には黒いキーはほぼ見ないで打てるようになりました。 このキーボードは人差し指に母音(A・E・I・O・U)、その他の指に子音が割り当てられており、さらに頻出する子音は原則黒字(第一レイヤー)のため、レイヤーキーを押さずに入力できます。母音の位置を人差し指で覚えつつ、中指・薬指・小指の担当する9つのキーを見ながら入力していくことで自然と配置を覚えられました。 片手ですべてのキーにアクセスできるため腕の疲労も少なく、さらに矢印キーやキーボードショートカットも入力できるため、インタビューの構成などが現実的なスピードで可能に。導入後9日目にタイピングソフトで計測したところ、タイプ速度は「1.9key/秒」。印象としてはまだまだ向上できそうな余地のある数字です。 ちなみに普段両腕でQWERTY配列のキーボードをタイプするとだいたい「6key/秒」程度、なので能率は1/3程度に落ちているものの、キーボード以外は以前と同じ環境で仕事ができるだけで相当楽になりました。 ファンクションキーにキーバインドを割り当てれば、3つ以上のキーを入力するショートカットも片手で入力できます。こうして使いながら自分なりの設定を追い込んでいくのもキーボードの楽しみの一つです。 片腕時には右手で細かい設定を入力するのは大変だったのであまりカスタマイズはしませんでしたが、スクリーンショットの撮影や仮想デスクトップの移動などにはファンクションキーの設定が役立ちました。またキーボード上に出ていない日本語入力特有の記号、具体的には「…」「・」「~」などを入力する必要があり、これには「Google日本語入力」のローマ字テーブルで「z.」「z/」「z-」などに記号を割り当てることで対処しました。 そんなこんなで、Froggyで10000文字以上をタイプし、ギプスを外す11月の中旬までを片腕で無事に乗り切ることができました。ありがとう「Froggy」、そして妻……。 僕のようにいきなり片腕でキーボードを操作しなければいけない状況になった人は、ぜひ導入を検討してみて下さい。また「Froggy」はその形状から左手デバイス的な用途にも便利に使えるキーボードです。片腕での利用に限らず、普段は左手デバイスとして使いつつ、必要に応じてフルキーボードの機能も使える、そんなキーボードとしてもぜひ使ってみてほしいと思います。
文=白石倖介