【解説】幕を開ける国会論戦 過去には政権存続を左右 野党の追及に岸田首相は何を国民に語るか
後世に語り継がれる〝言葉〟は出るか
過去の長い歴史をみても、国会論戦では、後世に語り継がれる舌戦が展開されたり、名演説で国民をうならせたり、首相自身や政府側が窮地に陥ったりと、多彩なドラマが展開されてきた。 戦前では、政友会の老政客、浜田国松の〝腹切り問答〟、民政党の斎藤隆夫による反軍演説などが有名だ。 腹切り問答は1937年1月の帝国議会本会議で、政友会の浜田国松議員が前年の二・二六事件以後、陸軍が何ら反省することなく政治干渉を繰り返していることを厳しく非難したのが発端。これに対して、寺内寿一陸軍大臣は、「軍人に対していささか侮辱するような感じがある」と恫喝したが、再質問に立った浜田は「速記録に軍を侮辱する言葉があったなら割腹して謝する。なかったら、君割腹せよ」と迫った。 議場は大混乱、広田弘毅首相は議会を停会して陸軍を宥めようとしたが、陸相は矛を収めず、結局、広田内閣は総辞職に追い込まれた。
反軍演説は1940年2月の衆院本会議で民政党の斎藤隆夫議員が、収拾のつかなくなった日中戦争について政府、軍を批判。「10万の将兵が倒れているのに、事変の始末をつけなければならない内閣、出る内閣も出る内閣も輔弼(編集部注:ほひつ、大日本帝国憲法において,天皇の大権行使に誤りがないように意見を上げる行為)の責任を誤って辞職する。内閣が辞めても、護国の英霊はいみがえらない」と厳しく指弾した。 軍部は「聖戦を冒涜する」などと反発、議員の多くは内心では斎藤に拍手を送りながら、軍部におもねて斎藤を除名処分とした。 戦後では、73年12月の臨時国会における福田赳夫蔵相(当時、後首相)の「物価は狂乱状態にある」という答弁が筆者個人としては印象に残っている。社会党(当時)議員と政府側による〝インフレ問答〟のなかで飛び出した発言は、福田赳夫氏を語るときに言及される「狂乱物価」の〝語源〟だ。 予算委員会ではなかったものの、2012年12月14日の党首討論で、民主党の野田佳彦首相(当時)が、野党だった安倍晋三自民党総裁(同、後首相に返り咲き)に対して、衆院解散に応じることと引き換えに、社会保障と税の一体改革の受け入れを迫った迫力あるやりとりも忘れられない。
秋の総裁選へも影響する可能性
26日に召集される通常国会の開会式は同日午後に行われ、29日の予算委員会集中審議をはさんで、30日に岸田首相の施政方針演説など政府4演説、衆参両院での与野党代表質問が31~2月2日まで代行われ、2月5日から衆院予算委員会の質疑に入る。 論戦の模様はテレビで中継される。政治資金規正法違反、派閥解消、解散時期をめぐる憶測、今秋の自民党総裁選行方など、国民生活もかかった多くの政治的動きを包含する通常国会となる。その論戦にじっくりと耳を傾けてみるのも意義深いことだろう。
樫山幸夫