第20回 最下位大洋を優勝させた三原脩 vs 60年の大洋ナイン|「対決」で振り返るプロ野球史
誠意のない西鉄に見切りをつけ、好条件の大洋の誠意にこたえた
大洋・中部謙吉オーナーと握手する三原監督。左端は森代表
西鉄監督・三原脩は58年の日本シリーズ終了をもって「これで西鉄での仕事は終わった」「さらに、その仕事に飽きた、まで行ってしまったようだ」(豊田泰光)と第16回の末尾で書いたが、ここから一気にセ・リーグの6年連続最下位球団大洋監督に就任してしまったのには、どんな事情、心理状態の変化があったのか。 下世話なことになってしまうが、詰まるところは、お金の問題だったのではないか。 自伝『風雲の軌跡』(ベースボール・マガジン社)によると、58年、南海に11.5ゲーム差をつけられ、V絶望か、となったら(実際は奇跡の大逆転を成し遂げるのだが)西鉄のフロントは、やめてもらいたいというのを匂わせ、逆転V日本一となると、手のひらを返すように「球団重役にするから来年も頼む」。このいい加減さに腹が立って、まあ、59年は、一応義理立てして指揮を執るが、60年に大洋へ、ということにした、とある。 ただ、大洋をなぜ選んだか、という積極的な理由となると・・・
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週刊ベースボール