世界に先駆けたホンダの低公害エンジン「CVCC」 いまも環境技術に息づく
現代の自動車の技術の話をする時、避けては通れない問題が二つある。一つは「衝突安全」、もう一つは「排気ガス」だ。多くの技術がこの二つに深く関係しており、これを念頭に置かないと新技術もニューモデルも、メーカーの戦略も理解できない。そんなわけで、この連載でも衝突安全と排気ガスをテーマとした原稿が多くなるわけだが、今回は排気ガスの話を書いてみよう。ホンダが世界に先駆けて開発した低公害エンジン「CVCC」の話だ。 【図】「良いガス、良い圧縮、良い火花」ガソリンエンジンが面白くなる“魔法の言葉”
ロンドンからLAへ ~ 公害の時代
まずは、公害の簡単なヒストリーからまとめてみよう。 かつてロンドンは「霧の都」と呼ばれていた。現在のロンドンで霧を見ることはほとんどない。ロンドンが霧の都と呼ばれたのは、ビクトリア時代のこと。伊藤博文や夏目漱石がロンドンに留学していた時代の話だ。 実は霧の都の正体は、石炭から出るPM(粒状物質)だった。英国では動力源としての蒸気機関が大きく発展し、それが産業革命を生み出したのだが、この蒸気機関に使われる石炭から出たPMが核となって黒い濃霧(スモッグ)が発生し、ロンドンの冬の風物詩になっていた。南米沖からフロリダ半島を通過して英国西岸に流れ込む暖流のメキシコ湾流に暖ためられた湿った空気が陸地で急冷され、石炭のPMを核に結露して霧を生んでいたのだ。 石炭由来のPMは、石炭に含まれる硫黄成分が様々な物質と化合して発生する多硫化物質が含まれている。硫酸や硫化水素が含まれることも多いので、当然健康に良いわけがない。英国ではずっと後の1952年にも呼吸器疾患によって1万人以上が死ぬという史上最悪規模の大気汚染公害が起きた。
1920年代に欧州に代わって新たに経済の中心となったアメリカでも類似の現象が起こる。ただし黒い濃霧ではなく、ロサンゼルスでは白いスモッグで、ロンドンとは発生条件が違った。ロンドンのスモッグが冬の現象であったのと異なり、ロサンゼルスの白いスモッグはその多くが夏に発生する。 ロサンゼルスは周囲を高地に囲まれた盆地であるため、工場や自動車の排気ガスが滞留しやすく、石油燃料由来の排出物が太陽光によって光化学反応を起こし、光化学スモッグとなっていたのである。健康被害が認識されたのは1940年代からだが、その原因はなかなか解明されなかった。排気ガスそのものの成分は必ずしも有毒ではなく、光化学反応により公害物質に変化することが分かるまで、原因が特定できなかったのである。 こうした問題が研究されるにつれて、自動車の排気ガスについての規制案が持ち上がる。ロンドン型のスモッグを前提に1963年から始まった「大気浄化法」は1970年に、ロサンゼルス型の光化学スモッグの規制を目的に組み入れた通称「マスキー法」となって、世界の自動車メーカーを絶望の淵へとたたき込んだ。この法案は、1975年以降に販売する自動車の排気ガス中の一酸化炭素(CO)、炭化水素(HC)、窒素酸化物(Nox=これのみ1976年以降)を、1970~71年のモデルの10分の1に規制するというものだった。あまりにも厳しい規制値に対して、「実現不可能」という反対の声が多くの自動車メーカーから上がったのだ。 実際、欧州系のブランドの中にはこの規制に対応できずに北米市場から撤退を余儀なくされたブランドも多かった。ミシガン州に居を構える米国のビッグ3も激烈なロビー活動を繰り広げ、規制の実施日を再三にわたって遅らせた。