miwa、涙こらえて作詞 ── 被災地の中高生と歌い上げた「希望の歌」
希望を伝えたい
miwaは、生徒とやり取りを続ける中で、その熱意に揺さぶられた。 「出身地も年齢も違うのに、地元を思い、自分たちの手で伝えたいというエネルギーに満ちていました。自分だけでなく、『誰かのために』という気持ちがプラスされることで、もっと強くなれると思います。別の人を思う愛情や思いやりを書きたくて、ふっと『やさしさ』という言葉が出てきました」 誰かを思うやさしさで 世界はつながるの miwaは大学生の2010年にデビューし、翌11年4月にファーストアルバムをリリース。13年には紅白出場も果たした。一方、「東北スクール」の生徒も2年半かけてプロジェクトに取り組んだ。震災後、歩んだ時期は同じ。しかし東京育ちのmiwaは、被災地を訪れたことがなかった。「復興」のイメージは、生徒からの言葉で変わったという。 「被災地でいろんな方が活動していました。私はデビュー直後で、まだ右も左もわからず余裕がなくて、ずっともどかしかった。今回、音楽でつながり歌を届けられて、私もすごく助けられました」 「パリで、生徒さんたちのブースを見ました。おじいちゃんが作った果物がゼリーになったんです、と聞きました。復興って、大きく漠然としたものでしたが、身近に希望があり、身近に復興を感じました。できることから始めることが、大切な一歩ですね」 希望をいま 伝えたい 曲の顔であるタイトル「希望の環(WA)」は、高校生からのアイデアだ。気仙沼高校1年の伊藤玲奈さん(16)は、「『きずな』は震災後よく使われましたが、ありきたりな言葉になった」と感じた。曲を初めて聴き、「後ろを振り返るのでなく、前に進みたい思いがあります。私たちが伝えたかった未来への希望が、歌に詰まっていました。希望がどんどん『環』になって届くといいな」。
「みんなの曲にしたい」
miwaにとって、今回の歌は、今までと大きく違う意味がある。 「私でなく、生徒さん一人一人の口から歌う曲にしたい、『みんなの曲』にしたいと思いました。生徒一人一人が、自分の地元を考え、世界に向けて伝えたいという思いにあふれていたからです」 8月のイベント直前にようやく曲が完成した。パリ行きの飛行機で初めて曲を聞いた生徒たちは、一様に涙を流した。エッフェル塔の下で、生徒はお互い手をつなぎあい、miwaを囲むようにして一緒に歌い上げた。曲が完成した。 最後の歌詞に、「みんなの曲」にしたいmiwaの思いがあふれている。 「空は、ずっとつながっています。パリから東北を思うこと、亡くなった方を思う気持ち、日本を支援してくれた世界への感謝の気持ちなど、いろんな意味を込めました。最後の部分は、何回も繰り返して歌うことに意味があります」 あの空届くように歌おう ----------- OECD東北スクール: 福島大学が主催、OECDと文部科学省が協力した復興教育支援事業。福島、宮城、岩手の被災9地域の中高生約100人を、復興の担い手として育てるプロジェクト。復興の報告と東北の魅力を発信するイベント「東北復幸祭<環 WA>in PARIS」は8月30・31日、パリで実施された。ヤフーは運営を協力した。 miwa: 神奈川・葉山生まれの東京育ち。15歳の頃からオリジナル曲を作りはじめ、2010年3月にシングル「don’t cry anymore」でメジャーデビュー。2011年4月のアルバム「guitarissimo」が平成生まれのソロとして初のアルバム週間チャート1位。2012年9月の「ヒカリヘ」が大ヒットし、2013年は武道館ライブと紅白歌合戦出場を初めて果たした。10代に絶大な人気を誇るシンガーソングライター。 (ヤフー・ジャパン/復興支援室 森禎行)