寺尾聰と破局、結婚生活は6年で破綻、台湾では王貞治と並ぶ存在…ジュディ・オング(74)の“魅せる人生”
6月6日、能登半島・台湾震災のチャリティーコンサートにジュディ・オング(74)が登場。ヒット曲「魅せられて」を熱唱した。 【40年前写真】美しすぎる笑顔で美空ひばり、由美かおると並んで写真に収まる 「サビで白のドレスを孔雀の羽のように広げると会場から『キレイ』と大きな拍手が起きた」(音楽担当記者) 父は台湾国営ラジオの創業者の一人、母は台南の名家の娘というエスタブリッシュメントに生まれた。3歳で日本に移住し、アメリカンスクールに通いながら「石原裕次郎に会えるかも」と「劇団ひまわり」に入団。11歳のとき、日米合作映画「大津波」でデビュー。ドラマ「三太物語」の花子役で注目を集めた。
21歳で卵巣腫瘍で1年間の休養を余儀なくされたことも
「母親がステージママとして奮闘。台本の漢字にルビをふるなど裏方も担った。16歳になると、母国台湾では歌手として活動を始めています」(同前) 主演した台湾映画「ニセのお嬢さん」が現地で高く評価され、映画賞を受賞。日台両国をまたにかける偉人として台湾での尊敬は厚く、野球の王貞治、囲碁の林海峰と共に「華僑三宝」と称された。1980年には台湾の国民栄誉賞も受けている。 上智大学在学中の21歳の時、卵巣腫瘍で1年間の休養を余儀なくされる。 「闘病中も腐ることなく、趣味だった木版画に没頭するなど、素養を磨き続けていた」(女性誌記者)
寺尾聰と破局、別の男性との結婚生活は6年で破綻
72年、日中国交回復を機に日本に帰化。大きな転機を迎えていた。 「大学卒業後、時代劇に進出。乗馬を習い、中村メイコから日本語の指導を受け、山田五十鈴からは着物の所作を学んだ」(芸能関係者) 「必殺」シリーズや「水戸黄門」に出演し、活動の場を広げるなか出会うのが阿木燿子、筒美京平コンビの「魅せられて」だった。 「1日で10万枚売れるなど、最終的に200万枚のメガヒットになった。レコード大賞を受賞し、紅白にも出場した」(芸能デスク) 37歳で、卵巣腫瘍が再発。闘病を支えた同い年の画商の男性と42歳でゴールイン。日台両国で総勢2000人を招待する豪華結婚式を挙げた。 「寺尾聰との熱愛を報じられたことはあったが、結婚に至らず破局。お相手の男性とは美術の話で意気投合した友人のような関係だったが、お互い海外の仕事も多く夫婦生活は上手くいかず、6年で破綻した」(同前) 離婚後は独身を貫き、仕事と趣味に邁進している。 「木版画は日展入選の常連。作品が平等院に奉納されるなど高く評価されている。女優としてもやり手華僑や社長役など衰えぬ美貌で重宝されています」(同前) 2022年には日台の親善に尽くした功績で外相表彰を受けた。両国をつなぐ女はまさに海である。
「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年6月20日号