能登半島地震の支援体制と道路事情を検証! 現役トラックドライバーが現地調査を実施
現役トラックドライバーにしてジャーナリストの長野潤一さんは、かねてより災害時の緊急支援体制や道路事情に関心を抱いている。 【画像ギャラリー】能登半島地震発生から約3週間後に見た物流と道路への影響(8枚) 自らも物資をクルマに積み、現地で支援活動をしつつ問題点や課題を調査するのは、13年前の東日本大震災の時からである。 今般の能登半島地震でも現地調査を実施。以下はその報告である。 文・写真/長野潤一 2024年3月発行トラックマガジン「フルロード」第52号より
1月1日の能登半島地震
1月1月の夕方16時10分ごろ、北陸地方をマグニチュード7.6、最大震度7の巨大地震が襲い、大きな被害が出た。正月休みだったため、実家に帰省したり、親戚中で集まっていた人たちも多かっただろう。 私は千葉県の自宅に居たが、13年前の東日本大震災の事が頭をよぎった。救助の手は足りているだろうか?物資不足に陥らないだろうか? ニュースやSNSでは、当初「道路寸断」「物資要請」などの情報があった一方で、1月4日頃からは「渋滞発生」「いまは能登半島に来ないで」の論調が強くなっていった。 だが、実際の様子はどうなのだろうか。約3週間が経った1月19~20日、現地に出かけた。せっかく行くのならと、ワンボックスカー一杯分の物資を積んで……。
救援物資の状況
結論から言うと、能登半島のほとんどの避難所などでは、生存に必要な食糧などの最低限の物資は足りているようだった(1月20日の時点)。それは、自治体、消防、警察などが津々浦々まで巡回していたからだ。 また、20日時点で、孤立地域の住民は自衛隊がヘリで救出し、孤立はほぼ解消しているということだった。だが、生鮮食品などは手に入りにくかった。 奥能登への入口となる七尾市を含め、スーパーがまだ営業していなかった。さらに七尾市を含めた能登半島の広い地域で断水しており、店舗の営業再開もむずかしく、生活は決定的に不便な状態だった。避難所での衛生状態や感染症にも懸念が出ているという。 だが、意外なことに、七尾市中心部より先の田鶴浜でコンビニ(能登半島はほとんどファミリーマート)はやっていて、中島のホームセンター(コメリ)、穴水町のドラッグストア(ゲンキー)も営業していた。 これらが早い時期から営業していたことは、東日本大震災の時とは違う。現地でこれらの流通が機能しているということは、避難生活者や復旧作業者の助けになるハズだ。また、買い出しのための自家用車の遠出の削減にもつながる。 ただし、穴水町より先の輪島市や珠洲市ではスーパー、コンビニの営業再開が遅れていた。課題としては、早い段階で両市にスーパーの移動販売車が投入されればよかったと思う。