向き合えなかった自分の気持ち 池袋暴走事故の遺族、医師と対談
■立ち上がれないほど体調崩した日々 東京・池袋で2019年、車が暴走した事故で妻子を失った松永拓也さん(38)が、精神科医の桑山紀彦さん(61)と対談し、事故後の5年間を振り返った。「2人の命を無駄にしたくない」と懸命に交通事故防止活動を続けながら、立ち上がれないほど体調を崩すこともあったと明かした。 【写真】一周忌で気づいた「事故に向き合わぬ自分」 池袋暴走遺族の松永さん 事故から5年を機に松永さんを取り上げた朝日新聞の記事を桑山さんが読み、対談が実現した。6月に東京都内で行った。桑山さんは国内外の紛争地や被災地で傷ついた人の「心のケア」を約30年間続けている。 松永さんは「事故直後は正直、屋上から飛び降りようとしていた」と打ち明けた。事故から葬儀までの5日間に、妻の真菜さん(当時31)、娘の莉子ちゃん(同3)のひつぎを開け、話をしたり、絵本を読んであげたりした際に「お父さんは死なないで」と言われた気がしたという。「その時から『真菜と莉子の命を無駄にしたくない』という思いがエネルギーになった」と話した。 松永さんは、事故車のドライブレコーダーの映像を見たという。「莉子ははねられる瞬間、車の方を見ていた。その時どれだけ怖かっただろう」 ■事故の時間に震える手 松永さんは「いま振り返れば、事故から1年は自分にうそをついていた」。一周忌で現場に行って手を合わせた瞬間、妻子がはねられる映像がフラッシュバックし、そこから2~3週間はほとんど起き上がれなくなったという。「自分の感情と向き合うこと、事故と向き合うことを避けていたんだなと気づいた」と振り返った。 見ていないはずの事故時の映像が浮かんでくることもあるという。「想像の産物なのは間違いないが、ぎゅっと胸が苦しくなる」と言う。 桑山さんは「半年を過ぎても症状が続くとPTSD(心的外傷後ストレス障害)になっていると考える」「想像も記憶の一部になり得る。トラウマの一部ですね」と応じた。 ■「松永さんは回復モデルの一つ」 松永さんは事故後1カ月で職場復帰した。事故の時間と、警察から電話がかかってきた時間になると「手がぶわーっと震えた」という。「最初の1週間、1カ月、1年、よく耐えられたなと思う」と話した。 助けになったのは仲間や友の存在だった。被害者支援センターの臨床心理士には月1回話を聞いてもらい、「とにかくばーっとしゃべった」。交通事故遺族でつくる一般社団法人「関東交通犯罪遺族の会(通称・あいの会)」について、「同じように事故で愛する人を亡くした経験を持つ人たちに、自分の気持ちを伝える場があったのは大きかった」と振り返った。地元にいる仲の良い5人の友だちは事故当時、代わる代わる来てくれ、散歩に付き合ってくれたという。 松永さんは、友とのやりとりを振り返り、「相手のことは分かるわけはない。でも、あなたはそう思うんだって、傾聴しながら尊重する。それが一番いいのかな」と話した。 今では妻子との思い出の場所にも行けるようになった。「時間が経ち、今は思い出の場所に行っても良い思い出だったと思えることの方が多くなった」 松永さんは自身の活動について、「『世のため人のためにすごい』と言われるが、そうじゃなく、自分のため。2人の命を無駄にしないというのは、自分が前を向いて生きていくための一つの手段」と話した。 事故を起こした受刑者からは謝罪の手紙が届き、今年5月に面会もした。「加害者の体験や言葉を無駄にしたくない」との思いで会ったという。「裁判中は後悔したくないから心を鬼にして闘った。でも彼はもう法律で裁かれて、真摯(しんし)に面会にも応じてくれた。意図を理解して、再発防止の言葉も語ってくれた。今は憎しみとは違う感情」 松永さんは「トラウマをすべて消すことはできない。それを受け入れて自分なりの意味づけをして、それを社会に還元していく。私の場合は、再発防止の活動をしていくことが私なりの回復なのかな」と話した。 桑山さんは松永さんの体験を聞き、「心に傷を負った人が最終的にこうなって欲しいと思う領域に自ら達した人」と表現した。「トラウマを受け入れ、一生生きていくと思った時に道は見えてくると思う。回復のモデルの一つとして、松永さんの5年、これからの10年、20年を大切に見守っていきたい」と話した。(御船紗子、比嘉展玖) ■池袋暴走事故 池袋暴走事故 2019年4月19日午後0時25分ごろ、東京都豊島区東池袋4丁目の都道で、旧通産省工業技術院元院長の飯塚幸三受刑者(93)=自動車運転死傷処罰法違反罪で禁錮5年の判決=が乗用車を運転中、ブレーキと間違えてアクセルを踏み続け、赤信号の交差点に進入。自転車で横断中の松永真菜さん(当時31)と長女莉子ちゃん(同3)を死亡させ、9人に重軽傷を負わせた。 まつなが・たくや 2019年に東京・池袋で車が暴走した事故で妻の真菜さん(当時31)と長女の莉子ちゃん(同3)を亡くした。交通事故防止に向け、全国で講演するなど啓発活動に取り組む。一般社団法人「関東交通犯罪遺族の会(通称・あいの会)」副代表。 くわやま・のりひこ 心療内科医、精神科医。世界の紛争地へ赴き、現地で心理社会的支援にあたる。パレスチナやウクライナでも活動。現在は「海老名こころのクリニック」院長、世界の紛争地や被災地を支援するNPO法人「地球のステージ」代表理事。
朝日新聞社