「鎮火」判断後、再び延焼 確認不足で被害拡大か 海自・掃海艇火災
福岡県沖で起きた海上自衛隊の掃海艇「うくしま」の火災で、出火から約4時間後に海自がいったん「鎮火した」と判断した後、再びエンジンルームから火が広がっていたことがわかった。その後に「消火困難」と判断し、乗組員らを避難させ、出火から約23時間後に沈没したという。防衛省や海上保安庁の関係者が取材に明らかにした。 【写真】火災のあった海上自衛隊の掃海艇「うくしま」(手前)=2024年11月10日午後3時52分、福岡県宗像市沖、朝日新聞社ヘリから、日吉健吾撮影 「鎮火」判断の前に十分な確認がされていれば沈没につながる延焼を食い止められた可能性もあるとみられ、海自の事故調査委員会が経緯を慎重に調べている。 火災は10日午前9時40分ごろ、福岡県宗像市沖で起きた。火元は船底に近い場所にあるエンジンルームとみられ、そこで当直していた機関員の古賀辰徳・3等海曹(33)が行方不明になっている。 複数の関係者によると、海自は出火時にすぐ海保に通報したが、その約4時間後の10日午後2時ごろには「鎮火した」と判断し、海保に連絡を入れていたという。 しかし、約50分後の午後2時50分ごろ、エンジンルームがまだ燃えていることが判明。「消火困難」と判断し、午後3時45分ごろには乗組員を別の船に避難させた。 いったん「鎮火」と判断した際、うくしま内は電源が落ちるブラックアウトで真っ暗となり、煙が充満。さらに、火元とみられるエンジンルームは高熱で近づくことも難しく、海自関係者は「十分な確認ができていないまま鎮火したと判断してしまった可能性がある」としている。 出火から沈没までの経緯については、海自の事故調のほか、国の運輸安全委員会や海保も調べている。
朝日新聞社