犬塚弘さん死去「クレージーキャッツは戦後日本を照らした」松尾潔が追悼
最後のクレージー逝く―――。クレージーキャッツの犬塚弘さんが94歳で亡くなり、メンバー全員が鬼籍に入った。戦後の日本を明るく照らしたクレージーキャッツの功績。そして犬塚さんの実直な人柄を、音楽プロデューサー・松尾潔さんが10月30日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で紹介した。
「お笑いもやるミュージシャン」のはしり
音楽界や芸能界で訃報が続いています。先週はクレージーキャッツ、犬塚弘さん死去のニュースがありました。犬塚さんは「最後のクレージー」と言われました。桜井センリさんが2012年に亡くなって、メンバーの中では犬塚さんだけがご存命、という状態が約10年続いたことになります。94歳ですから天寿を全うされたといっていいと思います。 クレージーキャッツは元々ジャズバンドとして始まりましたが、青島幸男さんを座付き作家に据えて、コントもやっていました。ミュージシャンが音楽以外の、お笑いもする、ということのはしりだったのが「ハナ肇とクレージーキャッツ」だったんですね。 SMAPがアイドルでありながら、お笑いもやって、バラエティー番組を仕切っている様子を指して「クレージーキャッツの再来」だと言う人たちもいましたね。クロスオーバー(越境)という言葉があります。エンタメ業界、芸能界と一口に言っても、ミュージシャン・芸人・俳優になんとなく分かれています。その線引きは時代によって変わっていますが。 しかし、そういった線引きを軽やかに越境したのがクレージーキャッツです。しかも、越境しながら線も変え、あるいは線を消したかもしれません。今となってはそういった歴史的な役割が語られるグループですね。
誰もがメンバー全員の名前を言えるスターグループ
クレージーキャッツが所属する渡辺プロダクションは、日本の芸能プロダクションの草分け的な存在です。元々ジャズミュージシャンでベーシストだった渡辺晋さんと、家業が芸能人を手配していた美佐さん。この二人が結婚したことで、渡辺プロダクションという形ができ、今に至っています。その最高傑作の一つがクレージーキャッツだと言われています。 渡辺晋さんは、ジャズミュージシャンとしても日本でトップを極めた方で、ミュージシャン仲間には中村八大さんもいました。そういう、日本のジャズのど真ん中にいた人たちが、ジャズを軸にして勢力を拡大していきました。 クレージーキャッツのリーダーでドラムのハナ肇さん、ギターの植木等さん、トロンボーンの谷啓さん、そして犬塚弘さんはベースですね。ほかにテナーサックスの安田伸さん、ピアノは石橋エータローさんが突然病気になって、桜井センリさんに代わりました。 今名前を挙げたメンバーを、昭和を生きた人たちはおそらくみんな知っているでしょう。メンバー全員が名前を言えるグループって、実はそんなにはいません、いつの時代も。 僕ら50代がクレージーキャッツと聞いて思い出すのは、正月恒例の『新春かくし芸大会』ですね。この番組を仕切って、中心メンバーになっていた人たちでした。一世を風靡したミュージシャン集団でいえばドリフターズもそうですが、クレージーキャッツの方が一つ上の世代です。