《ススキノ首切り事件》「瑠奈被告が拾った”首”というものが浴室にある」…”小ぶりのスイカのような形状”を見ても「変わらぬ日常」を過ごした父親が「言葉を失った」ワケ
「瑠奈被告が拾った首というものが浴室にある」
そして帰宅し、あらかじめ持って行ったスーツケースの中から取り出した黒いビニール袋に入った「小ぶりのスイカのような形状のもの」を見せられた修被告は、「それは何?」と尋ねた。 すると瑠奈被告は「首」と答え、少し間を置いて「拾った」と言うと、それ以上、修被告は問い詰めることをしなかった。 供述調書にはこの時のことについて、「頭が真っ白になっていた」「娘がそんな冗談を言うわけがないので首なら被害者の首だと思った」と記されている。 7月2日、買い物に出かけた際、「瑠奈被告が拾った首というものが浴室にある」ということを修、浩子両容疑者は確認。報道を通して事件が起きたことを知ったが、「信じたくないがとんでもないことが起きたと思った」とその時の心境を明かしている。 そして7月7日ごろ、損壊した被害者の遺体を目にし、すべてを知ることとなった。 その間、両容疑者は「信じたくないと思っており、事件の話はしなかった」(供述調書より)と、瑠奈被告を問い詰めることもなく、警察に相談することもなく、ただ迫りくる逮捕の時まで、変わらぬ日常を過ごしていたというのだ。 修被告は弁護士からの質問に対して感情を露わにすることはなく、まるで症例を説明するかのように終始、淡々と答えていた。
試行錯誤を繰り返した家族の現実
初公判では被害者の切断された頭部を巡って、浩子被告は「地獄」と語っていた。 娘が犯した犯罪と、それを咎めることで娘の心が壊れてしまうこと――。家族にとって、いったいどちらが「地獄」だったのか。 事件前の一家は医学の力だけではなく、「超自然的なもの」にも救いを求めていた節もある。 瑠奈被告は数年前から家族と神社や滝などパワースポットなどを訪れては、見つけた石や落ちていた枝を「ご利益があるもの」として拾っていたというのだ。 修被告らは「奴隷宣言」を、瑠奈被告を鎮めるための「お札」としてリビングに掲示していたように、瑠奈被告も石や枝を集めて「生きづらさ」を感じる現状を何とかして変えたいとでも思っていたのだろうか。 一家は神に救いを求めたかったのだろうが、修被告と浩子被告が崇めた「荒ぶる神様」は被害者を殺害し、その遺体をもてあそぶという大罪を犯した。 「修被告は精神科医として瑠奈被告の治療に取り組んできた姿勢は間違ってはいなかったでしょう。家族は悩み、試行錯誤を繰り返してきた様子も公判で明かされていました。両親は瑠奈被告を尊重し、支え、守っていた。しかし、事態は一番最悪の方向に進んでしまった」(前出の傍聴した週刊誌記者) 次回公判は8月30日に予定されている。 ……・・ 【つづきを読む】『「娘の心が『ゾンビ妄想』で壊れることが恐ろしかった」…精神科医の父が警察に通報しなかった「衝撃の理由」』
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