7月豪雨で最上川がはん濫 繰り返される水害に“集団移転”を決断した戸沢村蔵岡地区「きっと取り戻す」【山形発】
「蔵岡を離れて暮らすこと」を決断
9月、村は中村さんたち蔵岡地区の住民に「集団移転」を提案した。災害のおそれがある地域から、安全な場所へ集団での移転をうながす国の事業だ。 全世帯に住民アンケートをとった結果…、全世帯の9割以上が「賛成」し、戸沢村・加藤文明村長は「90%以上の賛成が得られたので集団移転を進めていきます」と表明。住民たちが下した決断は、「蔵岡を離れて暮らすこと」だった。 中村さんは「思い出・思い入れもかなりある。自分たちはそれでいいけど、息子や孫がこれからこの場所で生きていくということは想像できない。集団移転して、水害の心配がない所に行きたい」と望んだ。 戸沢村は2025年1月、「集団移転対策室」を新たに設置し事業を進めていく。移転の候補地は、蔵岡地区から約3キロ離れた村中央公民館周辺や、新庄古口道路乗り入れ口付近が見込まれている。
“人とのつながり”は移転先でも…
大雨の後、蔵岡地区に取材に入った際には、土砂がたまっていて歩くのも困難な状態だった。その時に出会った男性は、泥をかぶった家具を家から出して洗い流していた。その男性は、「ここに残って、ここで暮らしたいんだ」という思いを教えてくれた。そして別の家に住む女性は、避難所から弁当を持ち帰ってきて「家で食べるのが一番安心する」と話していた。 12月11日。大雨から5カ月が経って蔵岡地区に入ると、一見片付いたように見えたが、あの時あった“人が暮らしている雰囲気・様子”を感じることはできない。逆に、静けさやさみしさが広がっていた。 69世帯が住んでいた蔵岡地区は、仮設住宅やみなし仮設で散り散りとなり、12月16日現在、残っているのは中村さんを含め16世帯となっている。 集落を歩きながら中村さんは、「芦原商店はアイスがおいしくて、看板を見るとアイスが食べたくなる」と振り返った。中村さんにとって、いろいろな思い出がある場所。「当時、漫画がとても好きで予約して、『漫画本、入った?』『まだ来ね』って言われるとうずうずして、思い出がよみがえってきますね」と昔を懐かしんでいた。 中村さんは、ここにあった人と人とのつながりは、集団移転をした先できっと取り戻せると信じている。 中村さんは「1年間いろんなことがありすぎて大変だったけど、やっぱり基本前向きに考えるようにしている。集団移転でまた一緒に暮らして、それで落ち着いたら、また収穫祭とか催し・祭りを考えて、一緒に酒でも飲んで思い出話をしながら、それをみんなに伝えながら一緒にもう一回集落を盛り上げていきたい」と思いを語った。 蔵岡地区の集団移転はまだ検討中の段階で、いつまでに完了するか決まっていない。村は年内に、住民に対しどんな住宅を希望するかなど意向アンケートを実施する予定だ。 (さくらんぼテレビ)
さくらんぼテレビ