面白いと思う服には「KANSAI」のラベルが付いていた――伝説のトップモデル・山口小夜子が語る“洋服”
---------- ファッションの街・パリでコレクション・モデルとしてデビューし、一シーズンに十数件のショーを掛け持ちするなど、文字通りのトップモデルとして活躍した山口小夜子。 モデル・俳優の冨永愛は、もっとも尊敬する存在と公言する。マツコ・デラックスは美の化身と絶賛。 【写真で見る】マツコ・デラックスが「美の化身」と絶賛する日本人トップモデル 亡くなって15年以上が経つが、いまも多くの女性がそのファッションやメイクに憧れ、模倣する。東京都現代美術館の「山口小夜子 未来を着る人」展覧会(2015年)には5万6000人もの人が来場した。 山口小夜子は、印象的な言葉を数多く残した人でもあった。 生前に残した多くのインタビューを再編集した新刊『この三日月の夜に』から、圧倒的に美しい写真と「天につながる」言葉を抜粋して紹介する。 ---------- あちこちで面白いなと思う服を見ると、 どれにもKANSAIのラベル 私がまだ杉野学園ドレスメーカー女学院の学生で、先生の仮縫いと山のような宿題に押しつぶされそうな日々を送っていたころ、ある日、渋谷の西武デパートで衝撃的なほどに美しい洋服を見ました。 そのころ渋谷・西武には、前衛的な洋服を斬新なディスプレイで見せるカプセルというスペースがありました。その一つのコーナーにあった服に、私はひどくショックを受けたのです。 それまで見たこともない服でした。学校で習っている◯◯ラインや✕✕シルエットというのとはまるで無関係な、学校でいいとされていることと反対のことをやっている服で、それがとても美しかったのです。ラベルを見ると“KANSAI”と書いてありました。そのときの私は、それが人の名前であることさえ知りませんでした。それが私と寛斎さんの服とのはじめての出会いでした。その後あちこちで面白いなと思う服を見ると、どれにもKANSAIというラベルがついていて、私はすっかりそんな服のとりこになってしまいました。 「こんな面白い服を着て仕事ができるのだったら、モデルになってもいいな」ちょうどそのころ、プロのモデルにならないかという誘いに迷っていた私の心に、それらの洋服が答えを出してくれたように思えます。 ---------- 小夜子の魅力学 1983年3月13日 ---------- 「小夜子、この雪の冷たさを 忘れちゃいけないよ」 最初の二年間は、仕事らしい仕事はなかったけど、そのころに、今も忘れられない思い出があるんです。 東京で何年ぶりかの大雪が降った日に、あるカメラマンの人のところにカメラ・テストを受けに行ったんです。雪の中を何度もころびながら。シャドーはとけるし、メークはもうメチャクチャ。そのとき、一緒にいたマネジャーの人が、私にこういってくれたんです。“小夜子、この雪の冷たさを忘れちゃいけないよ。これからどんなに辛くても苦しくても、この冷たさを思いだせば、頑張れるはずよ”って。私、今でもその言葉をハッキリと覚えているの。 ---------- ヤングレディ 1977年4月12日号 ---------- ■こちらもオススメ マツコ・デラックスが「美の化身」と絶賛する日本人トップモデルが「おかっぱ」にこだわるワケ
山口 小夜子(モデル)